瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(7)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(7)
 昨日の続きで、昭和三年十月二十日(土曜日)付「讀賣新聞」第一萬八千五百五十號の(四)「文藝」面の「記念懸賞募集作品の/第一次豫選を終る」の続き、5段めから抜いて置きましょう。まず「[大衆文藝]/ [豫選結果]」その下に「[名 八]」その左に下詰めで「(發表いろは順)」とあります。そして6段め(見出しの下)に掛けて8名の住所と作品名と作者名が列挙されています。5段めには、

    本郷臺町二四菊富士館
『影繪双紙』 尾山篤二郎
    名古屋市東區千種町仲田一
   
『不戰時代』 岡戸 武平
    千葉市吾妻町三丁目
『めぐる仲仙道』
        勝見かく路
    神戸市兵庫市道八王寺裏通
    七、便利社内

とあり、6段めには、

『第四の椅子』米 島  清
    南葛飾郡松江町同潤會住宅
『劍難時代』 長 濱  勉
   大分縣中津町かきぜ武内別邸
『南蠻緋玉艸紙』
        松前 治策
     京都市下京區三條大橋東
     六丁目分木町六四徳田方
『戀慕夜叉*1』 東三條利公
    高知市越前町九二
『河豚クラブ』 關田 一喜

とあります。
 10月6日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(1)」に述べたように、私は直前に別の施設で「週刊朝日」を閲覧して「東太郎の日記」を見ていたので「米島清」が山本禾太郎のもう1つの筆名であることが分かっていましたから、図書館でヨミダス歴史館を検索して、昭和3年(1928)の創立五十五周年記念懸賞大衆文藝の記事中に「米島清」の名を見出して、すなわち「第四の椅子」が山本氏の作品であると分かったのですが、その見当が付いていなかったら「住所からして米島清らしいが確証は持てない」という書き方になったでしょう。いえ、その場合、他の懸賞まであれこれ見た上で「昭和3年(1928)の米島清の可能性が高い」という曖昧な書き方になったろうと思います。
 しかしながら、10月17日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(10)」に述べたように、実は「米島清」が山本禾太郎のもう1つの筆名であることは、林喜芳『神戸文芸雑兵物語』の記述に依拠して平成19年(2007)5月刊行の論創ミステリ叢書26『戸田巽探偵小説選Ⅱ』の横井司「解題」で明かされ、同じ筆名で応募・当選していた「週刊朝日」の「東太郎の日記」も、既に発見されていたのでした。
 但し、ヨミダス歴史館は平成21年(2009)2月運用開始でまだ讀賣新聞の当時の記事を気軽に検索して閲覧することは出来ませんでした。かつ、第一回予選を通過しただけの筆名は検索キーワードになっていないので、現在でも「米島清」で検索してもヒットはしません。だから今度こそ新発見(?)のつもりでいるのですけれども、……。
 結局どうなったのかは続稿にて報告しますが、今回注目して置きたいのは連絡先が「神戸市兵庫市道八王寺裏通七、便利社内」となっていることです。
 「八王寺」は現在の兵庫県神戸市兵庫区羽坂通2-1にある寺院です。ここで10月15日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(08)」で見た昭和9年(1934)当時の山本氏の住所が「神戸市兵庫区羽坂通り二丁目七四ノ一」であったことが想起されます。
 「神戸市兵庫市道八王寺裏通七、便利社内」が「神戸市兵庫区羽坂通り二丁目七四ノ一」と一致するかどうかはともかく、一致しないとしてもごく近くのはずです。
 ところでWikipediaに拠ると福昌寺が昭和27年(1952)に八王寺と改名したことになっています。この改名の由来は「開山覚巌和尚」が「天保10年(1839)、能福寺所有の八王子社の一隅を借りて草庵を営み、般若林と称し、雲水を薫育した」ことに拠るのでしょう。「福昌寺」の寺号は「慶応3年(1867年)12月、‥‥、山田村(北区山田町原野)の成道寺末寺・無住の福昌寺を移すという形で建立し、福昌寺と称した」ということになっています。しかしながら「八王子社」から「八王寺」の称が生じたらしいことからも察せられるように、八王寺の呼称も早くからあったらしいのです。
 すなわち、谷謙二研究室(埼玉大学教育学部 社会科教育講座 人文地理学)の「今昔マップ on the web」で閲覧出来る1:25000地形図「神戸首部」昭和10年二修(昭和14年3月30日発行)及び昭和22年三修(昭和24年11月30日発行)には「福昌寺」とあり昭和42年改測(昭和44年8月30日発行)以降は「八王寺」となっています。ところが、それ以前の1:20000地形図「神戸」明治43年測図(大正2年2月28日発行)及び1:25000地形図「神戸首部」大正12年測図(昭和2年1月30日発行)には「八王寺」とあるのです。
 ところで11月10日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(33)」に引いた論創ミステリ叢書14『山本禾太郎探偵小説選Ⅰ』373頁、横井司「解題」に「九鬼によれば、「窓」を引っさげて探偵文壇にデビューした当時は「代書業をやっていた」ようで(前掲『探偵小説百科』)」とありますが、「便利社」というのは代書業の商号でしょうか。
 もちろん、八王寺の呼称や住所の位置確定などはそうした資料のある場所、すなわち神戸に行って図書館等で地誌や古地図類を漁るべきなのですけれども、その余裕がありませんので暫くはここに見当を示して置くばかりです。(以下続稿)

*1:「叉」はかすれていて全く読めないのだが後日紹介する「選評」により補った。