瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(08)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(8)
 一昨日からの続きで、昭和3年(1928)10月20日の「記念懸賞募集作品の/第一次豫選を終る」の最後、6段めの残りの、1字下げで振仮名なしで行間が詰まっている箇所、[概評]を見て置きましょう。
 最初の3行の字数が少ないのは6字分×3行の「[概評]」が入っているからです。

長篇小説はこれを/全體から觀るに、/作家が主として青/年であるためスケールの大きさ/はやゝ缺けてゐるやうだが、そ/の反對に既成作家に觀ることの/出來ない新鮮味が溢れてゐる、/即ち新らしき時代に向つて呼び/かけたものが頗る多い、影響と/しては時代のテンポを語るジヤ/ツヅ的な筆の運び、創作の中に/映畫のスクリーンを夢見てゐる/もの等の他に、純藝術派のもの/とプロレタリア派のものとが數/に於て殆んど相半ばする状態だ
   
大衆文藝は興味中心の點から觀/ると既成作品に較べても决して/見劣りがしない、而かも其材料/の豐富なこと*1は實に驚く程である/然し總體から云つて幕末物の依/然として多數を占めてゐること/傳奇性とエキゾチシズムが脈う/つてゐること、並びに相變らず/劔を活躍せしめること等は、こ/の種の讀物としては在來の地歩/を確守してゐる形である


 複写が小さいため、読み得ない字を〓にするなどして来ましたが、今日、仕事の帰りに漸くこれまで入力した分については校正をすることが出来ました。遡って11月19日付(03)から修正して置きました。(以下続稿)

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 朝の連続テレビ小説「あさが来た」は、どうなんだろう。
 「カーネーション」の途中から録画をして帰宅後に見ていたのだが「まれ」の2週めの途中で止めた*2。「あさが来た」が始まってまた録画して見るようにしたのだが、どうも、設定がおかしいのである。
 腹違いの姉が同腹になっていたり、複雑な家族関係を単純化しているのはまぁ仕方がないにしても、姉の一家が夜逃げしたのに妹夫婦が気が向いた折々に草履履きでふらふら立ち寄れる程度の距離にいるのは何故だ。しかも今日の放送を見ると姉(宮粼あおい)の姑(萬田久子)が未だ「大阪」にいる気でこんなことを言う。「なんだすてぇ、あんた、私に大阪を出え言いますのか?」と言うのだが、そこ、大阪じゃないでしょ? もう大阪出てるから! 大阪とは江戸時代以来の大坂(大阪)の市街を指したはずで、郊外は河内とか和泉とか大和とか丹波の園部とか(以上、上方落語に出て来る番頭や女衆の在所)同じ摂津の中だと尼崎とか西宮とか池田とか箕面とか兵庫とか、具体的な地名を出すことが多くなるが、とにかく今の大阪府でも摂津国の大阪と、河内国和泉国とは全く別なのである。明治になって都道府県の名称を、旧国名ではなくその地域の一都市から付けるようになって、それで河内も和泉も「大阪」ということになってしまった。しかし人の意識がそう早く切り替わるはずもないので、当時を再現した場面で、登場人物がこんな感覚だというのは可笑しいだろう。そして、姑(萬田久子)は「和歌山」に行くのを嫌うのだが、それは和歌山じゃなくて「紀州」でしょう? 「和歌山」も和歌山の城下を指すのであって、当時の人に和歌山県などという意識はない。「紀州」と言わせてテロップで「紀州=今の和歌山県」と入れれば良いではないか。
 確かに「紀州」となると流石に遠い印象だけれども今更「大阪」を出るの出ないので揉める必要はない。繰り返して云うが当時の「大阪」は町であって、農村は入らない。「大大阪」と呼ばれる前の、さらに前の正味の「大阪」しか、この人たちの意識にはなかったはずだ。
 こういった辺りにも急速に古典的知識の断絶とその安易な置き換えが進んでいることが窺われる。当時のことは当時の常識に分け入らないと分からない。高校・大学に於ける古文・漢文軽視は、自らの歴史を正しく理解する手懸かりを奪うことに他ならない。そういえば、世評の高かった大河ドラマ篤姫」も、主人公(宮粼あおい)があんみつ姫のように鹿児島の城下をぶらぶら歩いているのに仰天して見るのを止めたことを思い出したが、もう身分の違いということが分かっていないのである。しかしなかったことにして良いことにはならないだろう。その意味からも主人公の姉は庶子にするべきであった。主人公の余りの御転婆ぶりに三王寺屋から故障を言い立てて嫁ぐ家を姉と取り替えたなどと云う、軽い設定で遊ぶよりも余程意味があったろう*3

*1:この「こと」は合字。

*2:その意味で近来稀に見る大愚作「まれ」は最後まで私の期待を裏切らなかった。

*3:この辺りの問題は2011年9月12日付「美内すずえ『ガラスの仮面』(7)」でも論じたことがある。