瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「第四の椅子」(10)

讀賣新聞社「本社五十五周年記念懸賞大衆文藝」(10)
 11月22日付(6)に紹介した昭和3年(1928)10月20日の社告では長篇小説も大衆文藝も12月10日に当選発表されるはずでした。ところが、12月11日に発表されたのは大衆文藝のみで、長篇小説の発表は翌年にずれ込むことになったのです。昨日紹介した大衆文藝の当選発表記事の最後、9〜10段めの2段抜きで入っている記事を抜いて置きましょう。

長篇小説の
當選發表は延期
 規定により最後まで書上げ
  その上にて更に審議


 以上が見出しで、1行めが2行めよりも大きいのですが仮に同じ大きさで示しました。

一方懸賞長篇小説は正宗白鳥小山内薫、廣津和郎、武者小路實篤/本社、柴田勝衛諸氏の手において豫選パスの五篇を選了、各選者の/採點により一、二等を決定するため採點表を持ち寄つて平均點を算/出の結果「汚はしき黄昏」を除く
 『大地にひらく』     住井すゑ
 『帆を捲く』       石川 鈴子
 『愛  日』       本地 正輝
 『與へられた武器』    内田 新八
右四氏の作品は平均點に於て差なく俄に優劣を決定し難き事情とな/つたため本社はこれを選者と協議し、且つ社内會議に於て愼重審議/した結果、最初公募の豫定通り右の四氏に對して長篇全部の執筆を/求め、これを選者に廻して再審議し一層藝術的に完全な作品を得る/方法を採ることゝした。從つて右四氏は續稿約百回を明年三月一杯/に執筆寄稿すべくいよ/\最終の當選發表は選者の審査の時間を通/算して明年六月とした


 作品名と作者名も明朝体ですが一回り大きくなっています。
 どうせなら小野田龍彦「汚はしき黄昏」も書き足させれば良かったように思うのですが、無駄な労力を費やさせない配慮(?)だったのでしょう。或いは既に規定の回数を完成させて書き足させる必要がなかった、ということも考えられますが、しかし飽くまでも「平均点に於いて差なく」が理由ですから、事実上、小野田氏の脱落発表と云うことになりましょう。小野田氏には直接明確に入選の可能性のなくなったことを伝達していたでしょうか? そこが気になります。
 それはともかく、これによって120〜150回分を完成させて応募した人は殆どいなかったらしいことが察せられます。そして、大衆文藝は続稿を書かせずに20回+梗概で選者の審査が行われたであろうことも察せられます。(以下続稿)

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 11月24日付(08)に朝の連続テレビ小説「あさが来た」について、「大阪」や「和歌山」など、当時は地域名ではなかった地名を現在のように地域名として使っていることへの違和感を表明して置いた。
 当時の大阪の人間の感覚は、もちろん完全に当時のままではないが、上方落語を聞けばある程度察せられるだろう。と云うより、私がかなりの程度上方落語を聞いたから(もちろんそればかりではないが)違和感を覚えてしまうと云った方が正しいかも知れない。
 もちろん昭和30年代くらいまでに撮られた映画ならば、あまり違和感なく純和風の暮らしが立体的に再現されているから映像化の参考にはなるだろう。ただ見るのが手間である。落語も録画を見たのではやはり手間だが、録音ならばずっと流し続けて呼吸をつかむのに適しているだろう。
 桂米朝が噺のマクラで、丹波や大和から大阪(大坂)の商家に奉公に出て来た丁稚に、大阪の言葉(船場言葉)、さらには目上の人に対する口の利き方(敬語)を学習させるために寄席に行かせて落語を聞かせた、と言っていたことを思い出す。同じ訓練が、脚本家や役者にも必要なのではないか。
 或いは『上方漫才黄金時代 実況録音に収録された昭和30年代の漫才の録音でも良い。如何に当時の常識が現在と異なっているかが分かるであろう。昭和30年代にして既に50年以上前、遠いのである。完全に再現しろとは云わないが、しかしせめて当時の常識とは摺り合わせる努力を放棄してはいけないのではないか。現代人が何となく抱いている時代のイメージだけ都合良く借りて、安易に現代の感覚に置き換えたのではCostume playではなくただのコスプレになってしまう。