瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

講談社別館の幽霊(3)

 一昨日からの続き。
 講談社別館の幽霊について、丸山氏は手塚氏による捏造だとしていました。ところが、これについて実際に見たという反論が出るのです。
 単行本『まんがのカンヅメ』と文庫版『トキワ荘実録』の大きな違いの1つに、丸山氏の関係した漫画家が寄稿した「コラム」が、石ノ森章太郎「デビューは少女マンガだった」単行本131〜135頁・文庫版145〜149頁、赤塚不二夫「丸さんカクテル」単行本160〜163頁・文庫版164〜167頁、水野英子「手紙を神棚に」単行本166〜170頁・文庫版172〜176頁と、単行本では「2章 実録トキワ荘」(文庫版「第二章 実録トキワ荘」)に3本挿入されていただけだったのですが、文庫版では巻末に、上田トシコ「『フイチンさん』のころ」234〜235頁、高橋真琴「幽霊に出会った時」236〜237頁、牧美也子「メダカの一列」238〜239頁、ちばてつや「一番の宝物」240〜242頁、の4本が増補されています。その前(227〜233頁)にある長谷邦夫解説オンリー・イエスタディ」も含めると漫画家の寄稿が5つが追加されたことになるのですが、そのうちの、題で分かると思いますが高橋真琴(1934.8.27生)のコラムがこの件に触れています。後半、236頁14〜15行め、

 本書の206ページ《行ったり来たり》の文中、一部誤解があるので、おそまきながら/訂正しておきたいと思います。

として、単行本183〜204頁「3章 まんが戦国時代」文庫版193〜211頁「第三章 まんが戦国時代」の、単行本192頁11行め〜154頁4行め「3 往ったり来たり」文庫版205〜208頁「3、行ったり来たり」の、ちばてつや・あきお兄弟が講談社別館にカンヅメ中、「陣中見舞い」に来ていた「松本零士牧美也子高橋真琴」が夜半に帰るとき「表門はとっくにしまっているので」真っ暗な中を「手探りで裏門」に出たところを「三人のすぐ上にある」別館の「窓から」ちば兄弟が大声を上げて驚かせた、という話(単行本193頁13行め〜194頁6行め・文庫版206頁3〜12行め)について、237頁4〜12行めに訂正をしているのですが、その前に、題にしている「幽霊に出会った時」のことを語っています。236頁16行め〜237頁3行め、

 小生も講談社別館ではよくかんづめになり、広い洋室で一人仕事に励み、疲れ切っ/て眠った朝方、青地の和服晴着の美人の幽霊が枕もとにスーと立っていて身の毛もよ/だつ思いをしました。ハッと気が付くと汗びっしょりで、カーテンのすき間から強い/朝日が顔に直射していて、/なぜかホッとしたのを思い/出します。


 尤も、丸山氏が云っていた部屋とは違うようです。それとも、仕事は洋室でして、和室が寝室になっていたのでしょうか。それから「ハッと気が付くと」と云うのですから、夢です。まぁ夢でも見る謂われのない「青地の和服晴着の美人」を見たらそれは、そこにいる「幽霊」だという解釈になりましょう。私が幽霊を見たことがない*1ので、幽霊を夢で見たらそれは本当に幽霊を見たのと同じになるのか、という発想になってしまうだけで。
 それはともかく、続いてちば兄弟とのことを述べて237頁12〜15行め、

‥‥。とも/あれ、別館幽霊事件ととも/に、私の青春時代のなつか/しい一齣です。‥‥

と纏めているのですが、高橋氏が漫画家として活躍した時期は限定されますから、時期も絞り込むことが出来そうです。昭和35年(1960)頃、という見当でしょうか。(以下続稿)

*1:中学1年か2年の夏、墓地で擦れ違いそうになった中年男性と擦れ違わなかったことがある。尤も同じ通路ではなく1つ左側の通路をその人は歩いているように見えたのだが、当時近眼なのに眼鏡を掛けていなかったので、墓石のくすんだ色がいろいろ組み合わさって一瞬こちらに歩いて来るオジサンのように見えたのだ、と解釈している。別に怖くも何ともなかった。