瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤い半纏(08)

 2014年1月4日付「赤いマント(74)」に既に引きましたが、中村希明『怪談の心理学』では8頁9〜10行め「昭和五十二、三年頃になると、まったく同一ストーリーの「赤いはんてん」/の怪談がなんと女子大生のあいだで大流行するのである」としている「赤いはんてん」のあらすじは、大学名は示していませんが『現代民話考』の共立女子大の話そのままで、呼び掛けはやはり「赤いはんてん着せましょか」なのですけれども、12〜14行め「あ/たりは鮮血が飛び散って“赤い斑点”ができたというギャル好みの語呂合わせのオチに変/わっている」と注意しています。
 稲川氏の話は吹き出た血が着衣を染めて赤い半纏のようになった、というオチで「斑点」ではありません。
 もし「斑点」というオチの「赤い半纏」が「大流行」していたのだとすると、時期は昭和51年(1976)から昭和52年(1977)に掛けての稲川氏のオールナイトニッポンのちょうど後になりますが、別の系統だった可能性も浮上して来ます。8頁6〜7行め、この少し前の「昭和四十七、八年頃になると、戦中の「赤マ/ント」が「赤いチャンチャンコ」に変わっただけの怪談が流布していた」とあって、詳細は書かれていませんが、やはり吹き出た血が着衣を染めて赤いちゃんちゃんこのようになった、というオチでしょう。ちゃんちゃんこでは飛び散った血が斑点になろうが知ったことではありません*1が、とにかく同類の話は既にかなり知られていたようなのです。
 そうすると、稲川氏とは無関係に流布したのでしょうか。その可能性も否定出来ないでしょう。しかし、もうしばらく稲川氏から発している可能性を考えてみたいと思います。
 例えば、ラジオ放送時には「斑点」のオチがあった、とか。――しかし<完全版>以外にも複数の録音で「斑点」で落としていないところからして、最初から「斑点」ではなかったのでしょう。
 それと、私が注目したいのは、稲川氏が強調している「赤い半纏着せましょか」という言い方が一致することです。
 こういう決まり文句は、もとになった話の言い方を動かさない場合が多い、と思われるのです。――私は昭和の末年に兵庫県で高校時代を過ごして、級友たちから怪談を聞いたのですけれども、その中に、便所から「かみが欲しい」という声が聞こえる、という話がありました。紙をやると「そのかみ(紙)じゃない、このかみ(髪)だぁ!」と大声で言って聞き手の髪の毛をつかんで驚かせる、と云うしょうもない話なのですけれども、確かに「そのかみじゃない」と言っていたのです。普通なら「そのかみやない」とか「そのかみと違う」と言うところ*2なのですが、何故かこの決まり文句だけが関東風に「そのかみ*3じゃない」だったのです*4。……それで、これは、東京の放送か、雑誌か、とにかく由来は関西のものではなかったものが、関西に移されて「あんなー、ある女の子がなー、塾の帰りになー、めっちゃおしっこしたくなってん、‥‥」みたいに関西風の語りに変えられたものの、印象深い決まり文句までは変えようという意識にならないらしいのです*5
 それからもう1点、『怪談の心理学』は「学校に生れる怖い話」と云う副題なのですが、18頁16行め〜19頁1行めに「筆者のような研究もで/きる」ようになったのは、18頁15〜16行め「流行時期や分布地域まで詳細に記録した松谷みよ子氏の/『現代民話考・学校篇』」のおかげなのだと述べているように、検討材料となっている「学校」の「怖い話」は殆どが『現代民話考』からの引用で、この「赤い半纏」の粗筋も『現代民話考』に載る共立女子大の話をそのまま、自分が気付いていた「大流行」と同じもの(或いは、代表するもの)として使用しているようです*6
 ですから、中村氏が当時耳にした話に「赤い斑点」の「語呂合わせ」まで存していたのかどうかの肝腎なところの確認は、これだけの記述からは私は出来ないと思うのです。――『怪談の心理学』を読んでいて気になるのは、『現代民話考』の例をあまりにもあっさりと、その話型の代表例のように取り扱っていることです。こういう話は仮令時期を同じくしていても、さらには同じ学校であっても、時には同じクラスや同じ部活であっても全く同じにはならないので、たまたま『現代民話考』に採録されただけの話を代表例のように扱うのは少々無神経な気がします。
 今回は結論を急いで論証をすっ飛ばしていますが、それは追々補うことにしましょう*7。中村氏は「半纏」になったのは「ギャル好みの語呂合わせのオチ」が附加されたため、と恐らく見ていて、私もそう思っていたのですが、実は共立女子大の話だけが独自に(突然変異的に)進化させたオチであって、必ずしも一般的なものではなかったのではないか、という気がするのです。前回オチのみを引いた大島廣志の報告が「斑点」になっていないことが、私の疑いを補強しているように思うのです。(以下続稿)

*1:稲川氏はマネージャーが「赤いチャンチャンコ」と間違えて広めたとしていますが、中村氏の指摘する流行時期が正しいとすると、稲川氏の誤りと云うべきです。しかも「斑点」のオチがないのであれば、終戦直後の女学校の体験談、という結構を除けば稲川氏の「赤い半纏」は「赤いちゃんちゃんこ」と変わるところがありませんから、いよいよ稲川氏の見当違いと云うことになります。

*2:もちろんアクセントも「かみ」ではなく「かミ」。

*3:アクセントも「かミ」ではなく「かみ」。

*4:私をびびらせるつもりだったその同級生女子が「このかみだぁ!」のオチを既に知っていて全く驚かなかった私に腹を立ててしまったことも、思い出しました。

*5:この問題は別に検討するべきでしょうがなかなかその準備が出来ません。しかし私見の一端をここに示してみました。

*6:『現代民話考』に載る共立女子大の話には、時期が明示されていないのに中村氏が「昭和五十二、三年頃」としているのは、独自の観察に基づくもので「半纏」の話がこの頃流行していたのは、事実なのでしょう。

*7:じっくり論証してみたらここに述べたことが見当外れだった、なんてことになるかも知れませんが。