瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤い半纏(11)

・中村希明『怪談の心理学』(9)
 一昨日からの続きで、中村希明『怪談の心理学』51頁11行め〜52頁1行めを抜いて見ましょう。

 しかし、これよりずっとディテイルの多い話がおおよそ三十年前の中学生の伝聞として/『現代民話考』に採録されているから、これがもともとの原話と考えられる。しかも、こ/れらの話は真っ赤な衣類にくるまれて死ぬところから、戦中の赤マントの怪談と同じ系譜/と知れる。
 この同じような三つの類話を詳しく比較することによって、学童間でデマが変容してい/く過程をつぶさに検証できるので、あえて全文を示すことにする。


 そして52頁2行めから53頁3行めまで、1月21日付(07)にオチを引用した大島広志の報告を引用しています。「場所不明。二十年ぐらい前の話。ある中学校の女子便所で、‥‥」に始まり、最後の2行は本文よりも1字下げで、

 文・大井雅晶。大島広志編『こ・わ・い話』。出典・「民話と文学の会かいほう」\47/号(民話と文学の会)

と典拠が示されます。「|」は『現代民話考』単行本96頁12〜13行めの改行位置、「\」は『現代民話考』文庫版116頁6〜7行めの改行位置で、『現代民話考』では二重鍵括弧ではなく普通の鍵括弧のみで、文庫版の2行めは2字下げになっています。
 さて、53頁4〜8行め、中村氏は次のようなコメントを付して、以下「デマ」に関する学説を援用しながら分析を試みるのです。

 この三番目の話になると、長さは第一話や第二話に比べて極端に長く、倍量に達してい/るので、伝達によって省略化されるのが法則だとすると原話らしく思える。しかし、デマ/には尾ひれがついてふくらむのが常識だともされているから、はたしてこの第三話が本当/に一番古い原話であるかを次に考証してみよう。しかし、その前に伝達によるデマの変容/をもう少し勉強する必要があるだろう。


 1月21日付(07)にも書きましたが「民話と文学の会かいほう」は図書館に所蔵されていません。改めて検索して見たところ質問サイト「教えて!goo」に2005/09/07「怪談好きの方、教えてください」と云う質問があって、結局解決しなかったらしいことが察せられます。ちなみに質問者が「現代奇談」を回答者への御礼として勧めている辺りに時代を感じます。
 それはともかく、そこで、ふと中村氏も219頁「参考図書」に挙げている、常光徹学校の怪談――口承文芸の展開と諸相――(Minerva 21世紀ライブラリー③)』(1993年2月27日初版第1刷発行・定価2,718円・ミネルヴァ書房・403頁・四六判上製本)を昨年、某区立図書館が移転開館するに際して閉館した旧施設にて放出されていたのをもらって来ていたのを思い出しました。この論文集の巻頭、3〜65頁に掲載される「学校の怪談」については、まだ果たしていませんがいづれ細かい検討を加えるつもりですので、今は詳しいことは省略しますが、5〜20頁4行め「 トイレと怪異」の章に、9〜11頁14行め「赤いはんてん」の節があって、9頁4〜10行めに共立女子大の話を『現代民話考』から引用し、10頁13行めに「 もう一つ類話を紹介しよう。」として、14行めから11頁5行めまで、この話を引用するのですが、末尾に附された注(8)を、157頁12行めで確認するに、

 (8) 大島広志「若者たちのこわい話」『民話と文学の会会報』47、一九八六年。

と出典が示されていました。細かいところが『現代民話考』に示された出典と違っているのが気になりますが、同じものでしょう。すなわち、常光氏の報告が載った「昔話伝説研究」第十二号と同年に発行されたものと分かります。
 さて、中村氏は『現代民話考』から引用していますので、この刊年情報に気付いていたのかどうか分かりませんが、この話を「おおよそ三十年前の中学生の伝聞」としています。話の冒頭に「二十年ぐらい前の話。」とあったのを受けて(「場所不明。」は『現代民話考』編纂に際して加えられたもので、当然、常光氏の引用には存しない)、昭和62年(1987)刊『現代民話考』から平成6年(1994)10月刊の本書『怪談の心理学』までの時間を足して「おおよそ三十年前」という数字にしたのでしょう。それは良いとしても「おおよそ三十年前の中学生の伝聞」としてしまったことには疑問があります。すなわち「二十年ぐらい前の話。‥‥」と始まっている場合、必ずしもそれは「二十年ぐらい前」に大井氏が聞いた「話」という意味にはならないからです。大井氏がこの話を「二十年ぐらい前」にどこかの中学校であった「話」だ、という前提で聞かされた、と取ることも出来るからです。
 私が話者や記録者の年齢にこだわっているのは、それが分かればこのように曖昧な書き方をされていても、どちらの意味に取れば良いかの見当が付けられるからです。大井氏が当時30代半ばであれば「二十年ぐらい前」の中学生の頃に聞いた話を書き留めた、という見当でほぼ誤らないでしょう。しかしながら、「ある中学校」というのは実在の中学校をぼやかした言い方ではありません。そもそも「中学校」が舞台になっている怪談を話すのは中学生に限らないので、中村氏が「中学生の伝聞」と決め付けてしまったことにも疑問を感じます。
 ここで常光徹学校の怪談』の出典注記に「若者たちのこわい話」とあったことを考慮に入れるなら、やはりこの「二十年ぐらい前」は大井氏が「話」を聞いた時期ではなく、大井氏が聞かされた話が「二十年ぐらい前」のどこか場所も良く分からない「ある中学校」で、という設定であった、と解するべきでしょう。大島氏は専門学校や大学の非常勤講師を務めていて、学生たちにレポートとして書かせた怪談を資料として利用しているらしいのです。すなわち二十歳前後の「若者たち」が書いたので、「二十年ぐらい前」に聞いたとは思えないのです*1。せいぜいここ数年の間に聞き知ったと見なさざるを得ず、この「十年ぐらい前」であった稲川氏のラジオ放送に先行する例とするには証拠不十分、むしろ濃厚に影響を受けたものと捉えた方が良さそうなものなのです。
 ちなみに『現代民話考』文庫版では「二十年ぐらい前の話。」はそのままになっています。聞いた時期と判断していないことが察せられます(尤も、文庫版の編集振りから察してそこまで考えがあって数字を足さなかったのかどうか、疑わしくはあります)。

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 1月29日付(09)に、中村氏の見解について「あまり賛成していない」と書きました。例として取り上げた3つの話について、そもそもの年次考証を誤っているようでは、いくら優れた学説を援用して分析したところで、正しい結果が導き出されるはずがないのです。
 そして、このような結果になった原因の一つに、資料となっている話についての情報を十分に記述していない民俗学者の怠慢というか、油断を指摘したいと思います。――柳田國男が『昔話採集の栞』などで、こういう話を「採集」するに際して、話者の年齢や仕事、伝承経路などに注意するよう呼び掛けていたにも関わらず、そこが十分に示されていないのは(調査した本人が分かっていても、共有されなければ意味がない)どうしてなのでしょうか。年齢が分からなければ「小学五年生の頃」と云われても何時なんだか見当が付きません。引用した資料の刊年が入っていないのも同じです*2。私の民俗学に対する不信の一端は、こういった辺りの好い加減さにも、一因があるのです。(以下続稿)

*1:2月1日追記】この辺り記憶に頼って書いたが、2月1日付「大島廣志『民話――伝承の現実』(1)」に大島氏の著書を参照し、根拠を明確に示して置いた。

*2:しかし『現代民話考』の刊行物からの引用はともかく、アンケート葉書での回答の場合、今から情報を追加して開示するのは難しいかも知れません。当時中途半端な方針を立ててしまったことが悔やまれるところです。