瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

大島廣志『民話――伝承の現実』(1)

 昨日の1月31日付「赤い半纏(11)」に取り上げた大島広志(1948生)の報告ですが、初出誌は見ていませんが大島氏の論文集によって素性が少々明らかになりましたので、ここに補って置きます。
・大島廣志『民話――伝承の現実』三弥井書店・250頁・A5判上製本

民話―伝承の現実

民話―伝承の現実

・2007年1月24日初版発行・定価2800円
・2007年9月10日初版二刷発行・定価2800円
 書名は奥付に拠ります。カバー表紙及び背表紙・裏表紙では「――」はなく副題は一回り小さく、扉や目次では「――」があって副題は一回り小さくなっています。「初版二刷」には初版(一刷)の発行日が記載されていません。日付通りに刊行される訳ではないにしても少々無神経です。なお、初版(一刷)と初版二刷の比較はしていません。
 さて、本書には大井氏の「赤いはんてん着せましょか」の話への言及がある訳ではないのですが、同じようにして蒐集したと思しき怪異談が幾つか取り上げられているのです。
 見返しに白い遊紙が1枚あって、同じやや厚い白紙の扉、下部にカバー表紙のイラストのうち右下のものが入っています(もちろん色は被せてありません)。前付(頁付なし)の「目次」が4頁、1〜7頁「はじめに――伝承の現実」、9頁(頁付なし)は「伝承の近代」の扉で、下部にカバー表紙のイラストのうち右上のもの。本文は11〜89頁、6題。91頁(頁付なし)は「現代の視座」の扉で、下部にカバー表紙のイラストのうち左下のもの。本文は93〜160頁、6題。161頁(頁付なし)は「伝説と昔話の周辺」の扉で、下部にカバー表紙のイラストのうち左上のもの。本文は163〜243頁、9題。244〜245頁「初 出 一 覧」、246〜248頁「「民話」の旗手」國學院大學名誉教授 野村純一、249〜250頁「あ と が き」。
 まず「現代の視座」の1つめ、93〜108頁「「母の子殺し」――その伝統と現代――」の93頁2行め〜94頁7行め「一 若者たちの怪談」に、93頁5行め「民話はいつも時代を、つまり、現代を背負っている」との考えを示し、10行め「ていねいに話を集めると、そこには確かに今日の時代を反映し語られている話もあるのではないかと思う。」としてその実践活動について述べています。11〜14行め、

 私はこれまで『民話と文学の会会報』に、五回ほど「若者たちのこわい話」を載せてきた。これは私の勤めて/いる東京のある専門学校の学生たちに怪談を聞かせた後、自分たちの知っている怪談をレポートさせたものだが、/学生たちはたくさんの怪談を知っていたし、怪談を聞くことをたいそう喜んでいた。それはまた、私が別に勤め/る都内の私立高校でも同じである。‥‥


 「これまで」とは何時までか、ということですが「初出一覧」244頁11行めに、

  母の子殺し          『民話と文学』20  一九八八・十

とあります*1
 そして、この「若者たちのこわい話」から3話選んで論評しています。94頁8行め〜97頁5行め「二 親の情愛を語る話」には、95頁5行め〜96頁2行めに「顔をのぞく女佐久間江利子」が引用され、末尾96頁2行めには「(小学校六年のとき、先生から聞いた話)」とあって、続く大島氏のコメントには、3〜4行め「‥‥。記録者/は現在十九歳、小学校六年十二歳のときに聞いたということは、今から七年前になる。‥‥」とあります。引用の最後に注(2)が附され、108頁5〜14行め「」を見るに、7行めに、

(2) 大島廣志編「若者たちのこわい話(4)」(『民話と文学の会会報』五十)民話と文学の会 一九八七

とあります。ここで「現在十九歳」が、昭和62年(1987)現在なのか、「母の子殺し」執筆発表の昭和63年(1988)現在なのかが気になります。しかし初出の昭和62年度に恐らく専門学校生だった訳ですから、恐らく昭和62年3月に高校を卒業して専門学校に進学した、昭和62年度に19歳になる学年と思われます(もちろん、前年のレポートを翌年発表することもありましょうから、一番可能性の高い筋というに止まりますけれども*2)。昨日問題にした大井氏の年齢ですが1学年上、昭和42年度生という計算になりましょうか。
 97頁6行め〜102頁18行め「三 「母と子」と「こんな晩」」では、97頁7行め〜98頁8行めに「母と子真下 弘美」が引用され、末尾に附された注(4)を見るに、108頁9行め、

(4) 大島廣志編「若者たちのこわい話(2)」(『民話と文学の会会報』四八)民話と文学の会 一九八七

とあります。
 103頁1行め〜107頁12行め「四 コインロッカー・ベビー」では、103頁2行め〜104頁13行め「赤ん坊を捨てた女金藤 由香」が引用され、104頁13行めに「(後輩から二年前に聞いた話)」とあって、末尾に附された注(7)を見るに、108頁12行め「(7) 注(2)に同じ。」とあります。
 ちなみに107頁13行め〜108頁4行めはまとめの「五 伝統と現代」です。
 本書では他に「伝承と近代」の2つめ、25〜34頁「「幽霊滝の伝説」の変容」の30頁9行め〜33頁18行め「四 新たな伝説の誕生」の後半、32頁2行め〜33頁18行めに引用されている、32頁1行め「若者たちの間で広まっていた」とされる「話」に、末尾の注(7)を見るに、34頁8行め、

(7) 大島廣志編「若者たちのこ・わ・い話―その5」(『民話と文学の会会報』五二)民話と文学の会 一九八八

とあります。ここでは報告者の氏名や題が示されていません。「初出一覧」を見るに、244頁5行めに、

  「幽霊滝の伝説」の変容    『世間話研究』11  二〇〇一・十

とあります。すなわち、昭和末と今世紀初頭までの意識の変化が、このような扱いの変化を生んだのでしょうけど、昭和63年(1988)に高校生で一応「若者」だった私は、中学から高校に掛けて、級友や部活の仲間に随分怖い話を聞いて回ったものでしたが、この話に接したことがありません*3。どの程度の広がりがあったか分からないものを「若者たちの間で広まっていた」という風に決め付けられるのには、抵抗があります。
 それはともかく、大島氏の「若者たちのこわい話」はまず、昭和61年(1986)に大井氏のレポートを含むものが「民話と文学の会会報」の47号に番号なしで掲載され、昭和62年(1987)に48号に(2)、49号に(3)、50号に(4)が連載され、51号は休んで昭和63年(1988)10月刊「民話と文学」20号までに、52号に(5)が掲載されたことになります。そして題は「こわい話」ではなく「こ・わ・い話」だったらしく思われます*4。(以下続稿)

*1:引用に際し空白の量を原本通りにしなかった。

*2:2018年8月20日追記2018年8月19日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(36)」に引用した、日本の現代伝説『ピアスの白い糸』の記述に従えば、前年のレポートの可能性が高いようである。もちろん、前年のものと今年のものが混ざっている可能性もあるが。ここら辺、出来るだけ個別に明確に示して欲しいと思う。

*3:この頃刊行された岩波文庫高田衛 編・校注『江戸怪談集(下)』に出ていた類話を読んで感心した覚えがあります――これは記憶の書き換えの可能性がありますが。

*4:12月22日追記12月22日付「大島廣志 編『野村純一 怪異伝承を読み解く』(1)」に、No.50の表紙についてメモした。