瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

丸山昭『まんがのカンヅメ』(13)

小学館文庫『トキワ荘実録』(6)あとがき①
 2015年8月19日付(4)に、文庫版の初版第一刷と第二刷について、うっかり「大きく異なるのは奥付のみのようである」と書いてしまったのだが、2015年【12月27日追記】に注意して置いたように、225〜226頁「あとがき」が差し替えられていたのである。
 確かに、初版第一刷は前の頁と同じ活字で組まれているが、第二刷は活字が若干大きく、字間も詰まっているように見える。左上の横組み「225 あとがき」も組み直されている。
 225頁1行め、初版第一刷は「あとがき」、第二刷「あとがき――重版に際して――」と題して、1行分空けて、初版第一刷には2〜13行め、

 雑誌の編集者というものは芝居の黒子*1と同じで、あくまで裏方であって、自分から/表にしゃしゃり出て、ものを書いたりするものではないと教えられてきました。です/から、こうして楽屋話をとくとくと話すことには、なにがしかの後ろめたさがありま/す。
 しかし、当時のことを話せる人たちがだんだん少なくなっていく今、まんがの歴史/の中でも重要な地位を占める、あの時代のことを記録しておくべきではないかと、語/り部になったつもりで書いてきました。まんが家や評論家たちの書いたものは少なく/ありませんが、現場にたずさわった編集者からの発言がほとんどないことも、私をそ/の気にさせた原因の一つです。
 
 文体が話しことば調なので読みにくかったかも知れませんが、それは最初の部分/が、テープに録音したものだったからです。おかげで、その後もずっとそのスタイル/で書き続けることになってしまいました。


 第二刷には、2行め〜226頁5行め、

 この本の内容は、「週刊図書新聞」に『百画紛々』という名のコラムで一九七八年/十一月から三二週にわたって連載したものが始まりでした。
 
 その頃、まんが制作現場の話は、まんが家や評論家たちの書いたものがほとんどで、/背後でその創作を支えた編集者からの発言は、まず見当たりませんでした。
 およそ、ひとつのまんが作品は一旦*2公表されれば、当然その作品そのものが独立し/て読まれ、評価されます。しかし、その作品が日の目を見るまでには、楽屋裏でのさ/まざまな経緯があるものです。感動的なエピソードもあるし、公表をはばかるような/話もあります。ですから、そういった背景を知れば、その作品をより多角的に鑑賞す/ることができるはずです。そして、その背景を伝えられるのは、現場に立ち合った編/集者の発言しかないでしょう。そんな役割を果たしたいと考えたのが、前述のコラム/を書こうと思い立ったきっかけです。
 
 また、終戦から少年週刊誌が創刊されるまでの児童雑誌が月刊だった頃、「まんが/を読む子はバカになる」とまで糾弾*3した、いわゆる「悪書追放運動」の嵐*4が荒れ狂っ/た一時期がありました。あわや、まんがは息の根を止められてしまうのではないかと/危ぶまれた、受難の年月でした。しかし、このことはもう忘れ去られようとしていま/す。当時の記録や資料も散逸の危機に瀕*5しています。生き残り「語り部」の一人とし/て、あの時代のまんがを囲む状況、まんがを守り育てた現場の姿などを語り継いでい/かなければ、という義務感に駆られたことも一因です。


 初版第一刷には連載のことには触れていなかった。一方、黒子の譬えや文体について第二刷では触れていない。初版第一刷は控え目であったのが、第二刷では内容の価値に対する自信のようなものも窺える。
 この原型はもちろん単行本『まんがのカンヅメ』205〜207頁「あとがき」である。該当する部分を抜いて置こう。205頁2行め〜206頁1行め、

 雑誌の編集者は、芝居の黒子に似ているといわれています。黒子は、芝居のうらおもて/から役者のクセにいたるまで、すべてを心得ていなければ勤まらない商売です。が、自分/はあくまでも裏方に徹して、観客に自分の技を披露したりはしません。役者を支えて、そ/の芸を発揮させることだけが役目です。編集者も同じこと、縁の下の力持ち、作家のベス/トを引き出すのが仕事で、自分は人前に姿を見せてはならないんです。私の編集者時代に/は、そのように教育されたものです。ですから、こうして人前にしゃしゃり出て、楽屋話/をとくとくと話すことには、なにがしの後ろめたさがあります。
 こんな私の出来心を煽ったのは、『週刊図書新聞』の元編集長、故・大輪盛登氏です。彼/の甘言に乗せられてつい手を染めたのが「百画粉々」という手塚番日記で、同紙に一九七/八年一一月から連載を始め、延々三二回も続いてしまいました。この本の内容は、「百画/粉々」で書いた話に少々手を入れたものが中心になっています。文体が話しことば調なの/で読みにくかったかも知れませんが、これも、大輪氏が私にしゃべらせ、録音テープから/書き起こしたものを使っていたからです。お陰で私はこのスタイルから抜け出せなくなっ/てしまい、困っているのがホンネです。


 1段落めと文体については初版第一刷に引き継がれ、初出紙である「週刊図書新聞」のことは第二刷で復活した。しかしながら「週刊図書新聞」編集長で後に図書新聞社社長を務めた大輪盛登(1931.12.22〜1990.11.3)のことは、文庫版では触れられていない。(以下続稿)

*1:ルビ「くろご」。

*2:ルビ「いったん」。

*3:ルビ「きゅうだん」。

*4:ルビ「あらし」。

*5:ルビ「ひん」。