瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤い半纏(12)

・日本の現代伝説『魔女の伝言板』(4)
 1月31日付(11)及び2月1日付「大島廣志『民話――伝承の現実』(1)」にて取り上げた、大島広志編「若者たちのこ・わ・い話」ですが、2014年2月1日付「赤いマント(101)」に取り上げた、日本の現代伝説(白水社)シリーズの『魔女の伝言板232〜234頁「主要引用文献」にも見えていました。232頁13行め、

大島広志編「若者たちのこわい話(1)」(『民話と文学の会会報』四七号、一九八六年十一月、民話と文学の会)


 これにて漸く発行の年月まで判明しました。どんな話が採られているのかと思ってざっと本文を眺めてみましたが、分かりませんでした*1
 さて、この本には2014年2月2日付「赤いマント(102)」でも注意したように、三原幸久「III トイレ」の章、119頁9行め〜122頁12行め「赤いマント」の節に、「婦人警官と赤いはんてん」という話が載っています。短い話ですので全文を抜いて置きます。120頁13行め〜121頁1行め、このシリーズでは話の引用箇所は2字下げで、さらに考察には興味がなくとにかく話だけ拾い読みしたい人たちのために(?)上部に太い横線が引いてあります。

〔類話1〕婦人警官と赤いはんてん
 ある軽食堂のお手洗いに入ると、どこからともなく「赤いはんてん着せましょか」と声が聞こ/えてくるというウワサが広まり、気味が悪いので、警察を呼んだ。女子トイレだったので、一人/の婦人警官が入ってみた。しかしながら出てこない。あまり出てくるのが遅いので、戸を開けて/みると、婦人警官の首は切られ血はまるで赤いはんてんのように体に掛かっているのであった。
(話者は、大阪の女子大学生。一九九一年六月に三原が聞く)


 続いて121頁2〜8行めに「〔類話2〕武道の達人と赤いマント」が引かれていますが、こちらは「(話者は、大阪の女子大学生。一九八七年九月に三原が聞く)」となっています。続く考察(121頁15行め〜122頁2行め)を見て置きましょう。

 現代伝説がその真実さを証明するために、ウワサを確かめる試みが語られる場合がよくある。〔類/話1〕のように婦人警官が犠牲者となるハナシが多いのは、女子トイレであるから当然であるが、女/子生徒の意識の中で、「最も強い女性」は「婦人警官」という概念があるのであろうか。〔類話2〕で/は武道の達人を登場させるために、わざわざ「ひよわな男の人」を連れてきている。以前はトイレの/怪談は殆ど女子生徒の語るハナシであったが、近年、〔類話2〕が現われたのも、男性と女性の差が/なくなったことの一つの証左かも知れない。なおトイレの例ではないが、時代を武士の時代にとり、/悪行を重ねた武士が、道で女に「赤いちゃんちゃんこ着せましょか」と言われ、「着せろ」といって/切りつける。その武士が翌朝、全身血だらけになって笑って死んでいるのが見つけられたハナシが報/告されている(米屋陽一編「ヤングの知っているこわい話(12))*2。このハナシを読むと、強い者がや/られるところにこのハナシの意味があるのかも知れないとも考えられる。


 引用は省略しましたが〔類話2〕では、まず「ひよわな男の人」が「赤いマントを掛けてあげましょうか」と呼び掛けられ、次に登場する「武道の達人」は「武道の達人の女の人」なのですが、このトイレが学校のトイレなんだか公共施設のトイレなんだか住宅の男女兼用のトイレなんだか、その辺りの説明はありません。しかしこの話を以て「トイレの怪談は殆ど女子生徒の語るハナシであった」のがそうでなくなった「一つの証左」とまで云えるのか、ちょっと無理なように思います。そういう筋を引きたがっているのは分かるのですが。
 ところでここに2例出て来た「赤い××着せましょか」という呼び掛けですが、稲川氏の「赤い半纏着せましょか」の影響を一応考えて見る必要があろうと思っています*3
 それから、婦人警官の登場も同様です。私も「女子トイレであるから当然であるが」とは思うのですが、やはり、登場の仕方に、ある偏りがあるように感じられるのです。私はそこを稲川氏のラジオ放送による刷込みと見たいのですが、これも「そういう筋を引きたがっている」類かも知れません。
 ちなみに、2014年2月3日付「赤いマント(103)」に一部を引用した「赤い紙やろか青い紙やろか」の節(106頁11行め〜109頁8行め)の、108頁14行め〜109頁5行め「〔類話3〕赤い紙を選んだ婦人警官」は「(話者は、大阪の女子大学生。一九八七年五月に三原が聞く)」との由来ですが、「ある女性」が「公衆便所」で、どこからか「赤い紙と、黄色い紙とどっちがいい?」と呼び掛けられ、紙がなかったので「黄色い紙」と答えると汚物まみれにされる。誰かのいたずらと思って警察に届けたところ「一人の勇敢な婦人警官」が調べに行き、翌日「血まみれになって死んでいる」のを発見されるのですが、109頁3行め、

‥/‥。彼女は驚きもせず、落ち着いて「赤い紙」と言った。その日、彼女は寮に帰らなかった。‥/‥

と云う、誰も見ていないはずの場面が語られ、そして結末を引っ張る一文を挿入するなど、文章にすると変ですが聞かされる分には効果的な技巧が施されています。それはともかく、三原氏はこれについて、109頁7〜8行め、

 「勇敢な故に殺される婦人警官」が登場する筋書きは「赤いマント」のハナシ(一一九頁)を思い/出させる。

とコメントしています。(以下続稿)

*1:校正段階まで本文に引用が存し最終的に削除されたために「主要引用文献」に残ってしまったのかも知れませんし、単なる私の見落としかも知れません。

*2:主要引用文献」を見るに、233頁19行め〜234頁1行めに「米屋陽一編「ヤングの知っているこわい話(16)」(『不思議な世界を考える会会報』三三号、一九九三年十二月、不思/議な世界を考える会)/米屋陽一編「ヤングの知っているこわい話(21)」(『不思議な世界を考える会会報』三八号、一九九五年四月、不思議/な世界を考える会)」とあって(12)は出ていません。番号の打ち間違いでなければ載せなかったのでしょう。(12)は33号の1年ほど前に刊行されたであろう29号に載った見当になります。

*3:「はんてん」の話の方に2014年4月18日付「赤いマント(138)」で見た松谷みよ子や、1月29日付(09)等で見た中村希明が(ついでに私も)完成形と見た、「半纏」ではなく「斑点」だった、というオチがないことにも注意。