瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松葉杖・セーラー服・お面・鬘(12)

・「不思議ナックルズ」VOL.12(5)
 昨日の続き。
 3節め、①初出誌の見出しは044頁3段め4〜5行め「マスクの下に隠された正体はオッサンだった……?   」で、②再録066頁上段4行め〜067頁下段「「マスクの下にある顔はただのオッサンだ」  」です。
 この節からは、066頁下段14行め〜067頁下段2行めを抜いて見ましょう。

 87年の11月に筆者がこの噂を聞いたと/き、3本足のサリーちゃんが目撃される/範囲は小田急線沿線の各地に広がってい/た。特に中央林間駅から3駅ほど東京/【066頁】寄りの町田での目撃例が多かった。小田/急線とJR横浜線の交差するロータリー/から原町田駅に向かう途中に東急ハンズ/があり、その脇の薄暗い道にサリーちゃ/んが「じっと佇んでいる」か「信じられな/いような速さで移動している」のを目撃/したという証言をリアルタイムで耳にす/【067頁上段】ることが増えていった。当時、筆者はそ/の姿をフィルムに収めようと度々張り込/みを敢行したが、遭遇する機会をつかむ/ことはできなかった。
 中央林間から町田への移動には小田急/線を使った可能性が高く、その先の鶴川、/向ヶ丘遊園の各駅でも「不気味な仮面を/つけ、松葉杖をついた女子高生」の目撃/報告が相次いだ。そこでは「駅の階段を/信じられないような速さで駆け下りてい/く」「反対側のプラットフォームから、い/つの間にかこちら側のフォームに移動し/【067頁中段】ている」といった具合に怪談テイストが/より濃厚になっていた。‥‥


 この記述は「筆者」田野辺氏の当時の調査が反映されているものと見て良いでしょう。
 ところで、私は町田には町田市立国際版画美術館に企画展を見に行ったことがあるくらいで、ここで説明されている施設の位置関係はよく分かりません。国鉄横浜線「原町田駅」は昭和55年(1980)4月1日に小田急小田原線町田駅寄りに移転するに際して町田駅と改称しています。小田急線の方は昭和51年(1976)4月11日に町田駅と改称されるまで「新原町田駅」でした。すなわち昭和62年(1987)当時、どちらも「町田駅」だったのですが、JR横浜線の方を指しているのでしょう。それから、平成19年(2007)7月31日に東急百貨店まちだ店が営業終了して10月5日に町田東急ツインズとして開業するに際し、それまで国鉄町田駅の跡地に建設された町田ターミナルプラザに入っていた東急ハンズ町田店が移転して入ったので*1、どうもこの移転後の位置を指しているようなのです。しかし地図を見るに東急ハンズ町田店の脇まで行っては、もとの国鉄「原町田駅」跡に行く途中ではありますが、現在のJR「町田駅」に行くには行き過ぎです。しかも、地図や航空写真で見る限り、東急ハンズ町田店の入っている町田東急ツインズの「脇」には「薄暗い道」などなさそうです。そうすると、私にはもう見当が付けられません。しかし当時「度々張り込みを敢行した」というのですから、ある特定の場所を指していることは間違いないでしょう。
 ここで図版の確認をして置きましょう。
 既述の烟巻氏のイラストと「週刊朝日」の誌面の他に、現地の写真が図版として挿入されています。
 ①044頁1段め左=②067頁上段左、キャプション、①上左横組み「『週刊朝日』の記事で報じられた中央林間駅の現場」→②下左横組み「『週刊朝日』で報じられた中央林間駅の現場」。
 ①044頁3段め左=なし、キャプション、①右に縦組み「ギンティ小林が目撃したという同駅の現場」※改札前の俯瞰写真。
 ①044頁4段め左=②067頁中段左、キャプション、①下に横組み「同駅の目撃現場の中間点にて(左側はギンティ小林)」→②下左に横組み「同駅の目撃現場の    /中間点を指すギンティ小林」。
 ①045頁1〜2段め左=②068頁右上、キャプション、①右上に縦組み「町田駅でサリーちゃんが目撃されたという現場」→②下左に横組み「サリーちゃんが目撃されたという町田駅の現場」。
 東急ハンズ町田店脇ではなく、小田急町田駅の下の町田バスセンター、すなわち「小田急線とJR横浜線の交差するロータリー」を撮したもののように見えます。(以下続稿)