瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松葉杖・セーラー服・お面・鬘(19)

・昭和61年秋(1)
 ギンティ小林の記述に見られる錯誤については、前回までで材料をほぼ出し尽くしました。この錯誤に対する最良の解決法は、小林氏本人が自己の経歴と、怪人物出没時期及び「週刊朝日」や他の目撃者の証言との摺り合わせを行うことだろうと思います。しかし無理強いをするつもりはない(出来る立場でもない)ので、私は私でこれまで通りに検討を進めて行くこととします。
 2月6日付(01)に予告した通り、当ブログのこの怪人物についての記事は、私が気付いたものを順次挙げるのではなく、単行本『新耳袋大逆転』及びその増補改訂版である文庫版『新耳袋殴り込み 第二夜』に整理されている、この問題の第一人者・ギンティ小林による経過報告の順に従っています。但し小林氏の「中学」時代の回想には問題があるので、小林氏がこの怪人物のことを思い出すところから始めました。そして『新耳袋大逆転』に至るまでの経過を一通り述べてから、ようやく小林氏の錯誤に話を進めました。
 しかし、実際にはごく早い段階、小林氏が当時の「映画秘宝」編集長田野辺尚人とともに行った取材記事の載る『恐怖の都市伝説ファイナル』(初出は「不思議ナックルズ」VOL.12)を読んで興味を持ち、小林氏の生年を調べたときに、小林氏の記述及び記憶の混乱には気付かされていました(まだ小林氏の『新耳袋殴り込み』シリーズを見ない段階です)。
 そしてネットで検索して目撃情報を述べたブログを見付け、その筆者も小林氏と同様の錯誤を犯していることが分かったので、これはしっかり調べて置く必要があるだろうと思ったのです、余計なお世話かも知れませんが。そこで『新耳袋殴り込み』シリーズの単行本と文庫版を借りて来て、という順序なのです。
 ですから、もう小林氏の錯誤について、私なりの見通しはあるのです。いえ、そもそも見通せているつもりだから手間隙掛けて調べ始めたのです。そして、いくら(分量を)書いても怒られないブログの特性を活かして、細かく調べて、調べ得たことは一通り書き出して見る、というのが当ブログの方針なので、この問題の“正典”たる『新耳袋殴り込み 第二夜』に従って細々と整理しているのですが、どうも、出ている答えを保留にしたまま知らぬ振りをして細部の検証を上げ続けることに、次第に白々しさを覚えるようになって来ました。
 そこで、2月24日付(16)にて、小林氏の錯誤について「もう1人、同様の錯誤を犯している」人の「証言を検討した上で、その理由を考えてみたい」と、うっかり予告してしまったのですが、その通りにしてしまったのでは、既に十分小林氏の錯誤について説明する材料を示して置きながら、さらに遠回りをして白々しく知らぬ振りを続けることとなってしまいます。かつ、一応公開の、不特定多数の目に触れるような形でやっているのに、書いている本人は、この先に明かす答えが分かっているから良いようなものの、当ブログ閲覧者は延々何だかはっきりしない、思わせぶりな話を聞かされるような按配になってしまうこととなります。一方で、もう見当の付いている読者もいることでしょう。
 もちろん、大きな流れとして『新耳袋殴り込み 第二夜』に準拠して整理する、という線は維持したいので、ここでは一旦脱線する形で、一部先取りして錯誤の理由について、簡単に述べて置こうと思うのです。
 そこでまず、小林氏が怪人物を目撃したのは、昭和62年(1987)秋なのか、それとも小林氏が中学3年生の秋すなわち昭和61年(1986)秋なのか、について私見を示して置きます。
 私は、これは昭和61年(1986)だろうと考えています。その最大の根拠は「もう1人、同様の錯誤を犯している」人の「証言」なのですけれども、それは順を追って取り上げるつもりなので今回は援用しません。――飽くまでも中間報告的な内容になりますけれども、前回までに挙げた材料のみを根拠にして、一先づ昭和61年秋と判断する理由を掲げて置くことにします。(以下続稿)