瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松葉杖・セーラー服・お面・鬘(20)

・昭和61年秋(2)
 この怪人物の出没時期は、ギンティ小林新耳袋大逆転』が出た当時、2月14日付(06)に引いた「不思議ナックルズ」の記事にもあるように、昭和62年(1987)の秋から冬に掛けてであるとされていました。
 しかしながら、小林氏が「中学3年生」であったと回想する「当時」の出来事として挙げる「クリネックスティシューのCM」は2月24日付(16)で見たように前年から昭和61年(1986)9月までの放映で、呪いの話が出たのは11月のことです。また「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」は2月19日付(11)に見たように昭和60年(1985)11月から昭和61年(1986)10月までの放映でした。
 すなわち、昭和62年(1987)秋から1年ほど前の出来事を、小林氏は「当時」のこととしているのです。
 しかも、小林氏が「中学3年生」であったのが何時かと云うに、Wikipediaにある通り昭和46年(1971)5月5日生であれば昭和61年度のはずなのです。すなわち、
【昭和61年】
・小林氏が中学3年生(〜昭和62年3月卒業)
クリネックスのCM(〜9月*1
スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説(〜10月*2
【昭和62年】
・「週刊朝日」10月23日号「デキゴトロジー」欄に9月26日(土)の目撃情報
と、ほぼ1年離れている出来事を、『新耳袋大逆転』では同じ時期のこととして記述しているのです。
 では、小林氏がこの怪人物を目撃したのは何時のことだったのでしょうか。
 前回も述べたように、私は昭和61年(1986)だと思っています。
 何故なら、クリネックスティシューのCMや「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」の放映時期を調べれば、それが昭和62年(1987)ではないことは、すぐに気付けたはずです。そして、それがまさに昭和61年(1986)秋、小林氏の「中学3年生」のことで合っているのです。すなわち、小林氏はこれらを記憶に頼って書いています。
 一方、昭和62年(1987)秋というのは記憶ではありません。そもそも「中学3年生」でないのですから。小林氏が当時「週刊朝日」を読んだというのは虚構、いえ、好意的に解釈すれば「当時あったと思われる状況」をライターとしての想像力を発揮して書いたということになりましょう。たぶん、初めて(意識して)この記事を見たのは20年後(「不思議ナックルズ」記事執筆時*3)であって、そのときに自分がこの怪人物を目撃したのは昭和62年(1987)であったのだ、と思い込んでしまったのだろうと思うのです。

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 私はこれまで、同じような、信憑性が高いと思われる資料に釣られて、自分の体験した時期をずらして考えてしまった例をいくつか指摘して来ました。分かり易く書けていませんが2014年7月11日付「赤いマント(139)」に、「赤マント」の流言について、勘違いから発生した昭和11年説及び昭和15年説が、当時小学生として実際にその流言を聞いたはずの人たちに影響を及ぼし、昭和14年のことをそれぞれあらぬ年のこととして記述させてしまうという深刻な結果を招来させていることを指摘しました。2014年2月5日付「赤いマント(105)」に指摘したように、小学校入学時期を2年も遡らせてしまったケースもあるのです。
 こう書くと「デキゴトロジー」が誤っているのかと思われそうですが、もちろん私は「デキゴトロジー」の信憑性を疑っていません。そのために2月16日付(08)に簡単ではありますが「デキゴトロジー」という欄の性質について一通り確認して見たのですが、唯一の一次史料と云うべきものです。昭和62年(1987)秋にも出没していたのでしょう。
 そうするとギンティ小林田野辺尚人の両氏が「バブル期のある年の秋から冬」と限定して考えていたことが、そもそもの間違い――ある種の先入観だったのではないか、と思われて来るのです。すなわち、昭和61年(1986)秋にも、昭和62年(1987)秋にも出没していた。しかし、小林氏と田野辺氏は、どちらか片方の時期にその出没を意識して(小林氏の場合は前者)別の年にも出没していたことに気付いていなかった、ということになるのではないでしょうか。
 とにかく、時期を限定して考えていたところに、日時と場所を明記した「デキゴトロジー」の記事が示されれば、自分たちの意識していた時期は昭和62年(1987)秋だったんだ、という思い込みに、容易に繋がります。そのとき、自分が「中学3年生」だったのは実は昭和61年(1986)秋だったのだという確認は、いとも簡単にすっ飛ばされてしまうのです。

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 これは、誰にも起こり得ることです。責めているのではありません。記憶と少ない資料に頼るのは錯誤の原因になりがちな(もちろん錯誤が起こらないことの方が多い)ので、そうして導かれた結論には、追って(ネガティヴな意味でない)批判と修正が必要になって来るのです。――と、筋を通してみましたが、もちろんこれは可能性の提示に過ぎません。現時点ではこう考えるのが尤も蓋然性の高い推測だ、と云うまでです。その先に進むには当事者本人による批判と修正が必要になって来る訳ですが、それは私の任ではありませんので、私の方はまた『新耳袋大逆転』の記述に戻って、その内容の確認を一通り済ませて置きたいと思っています。(以下続稿)

*1:11月に呪いの話の一斉報道。

*2:昭和62年2月に映画公開。

*3:2月18日付(10)の引用を参照のこと。