瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山本禾太郎「妻の災難」(1)

 昨日は偉そうなことを書きましたが、あのような錯誤は別に珍しいことではありません。いきなり正解には辿り着けないので、ある程度材料が揃ったところで筋を通してみて、その上でなお材料を求めて、その都度、以前に通した筋で良いのか点検していくことになります。そしてもう間違いないだろうと思った段階で結論を書くことになります。研究者であれば論文にする、ということです。しかし実際には、論文にも奇怪な錯誤が少なくないのですが。
 それはともかく、今日は私が犯してしまった錯誤の実例を示して置きましょう。
 2015年12月13日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(35)」まで、山本禾太郎の日記体小説「東太郎の日記」について考証して、これまで知られていなかった山本氏の浪花節一座の事務員時代について、梅中軒鶯童『浪曲旅芸人』を援用しつつ明らかにしました。2015年12月12日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(34)」に年表形式で示しましたが、その中で大正6年(1917)条に、

・同年6〜7月 殺人鬼入江三郎脱走事件。

としたのは間違いでした。
 入江三郎の事件はネット上にあまり情報がなく、2015年11月1日付「山本禾太郎「東太郎の日記」(24)」に参照した(株)神戸新聞社神戸新聞五十五年史』の年表を、山本氏の随筆「妻の災難」の記述と合わせてこのような見当を付けたのです。
 すなわち、「妻の災難」は「六月初め頃」ということになっています。そして「殺人狂入江三郎精神病院を脱走す」との新聞報道があった、と云うのですから、『神戸新聞五十五年史』の年表の大正6年(1917)条「7月10日|脱走中の殺人鬼入江三郎の逮捕を報じた。」と関連するのだろうと思ったのです。
 しかしながら、その後もこの事件について、纏まった記述は見ないままでしたが、どうも、断片的に拾った情報と付き合わせて見るに、何だかおかしいのです。ただ、なかなか古い新聞を調べに行く余裕がないまま放置していましたが、先月漸く「聞蔵IIビジュアル」にて当時の「大阪朝日新聞」の記事を閲覧して、自分の誤りに気付きました。しかし閉館直前に少し余った時間を使って検索した上、記事の数も量も多く、メモを取るにも複写を取るにもその余裕がありませんでした。そして先日「東京朝日新聞」の縮刷版(日本図書センター)の大正6年(1917)7月分を閲覧して、漸く「東京朝日新聞」大正六年七月十日(火曜日)第一萬一千百四十四號、全8頁のうち版次と頁付が「へ(五)」とある面の、9段組の7段めの中ほどにあった次の記事を写しました。
 見出しは「●殺人狂入江三 / 郎脱監す   / ▽明石で捕はる*1」とあって、

例の殺人狂入江三郎は湊川腦病院にて/嚴重監視中なりしが九日午前二時三十/分頃監置室を破りて手錠の儘何處にか/逃走したるより神戸市内の各署は非常/線を張り搜索せり一方三郎は嚴重なる/警戒線を突破し山傳ひに播州方面に逃/走の途中同日午後七時明石押部谷村に/て搜索隊の非常線に掛り逮捕せられた/り(神戸電話)*2

とあるのです。『神戸新聞五十五年史』の年表に「脱走中の入江三郎」とあるので長く「脱走」していたのだろうと取ったのですが、実は7月9日の未明に脱走して夜には捕まっているのです。
 いえ、脱走ではなくその前の殺人事件の時期や経過も、山本氏が「妻の災難」に書いているものとは、大分違っているのです。(以下続稿)

*1:ルビ「さつじんきやういり江さぶ/らうだつかん/あかし・とら」。

*2:ルビ「れい・さつじんきやういり江・らう・みなとがはなうびやうゐん/げんぢゆうかんしちう・ごぜん・じ/ふんごろかんちしつ・やぶ・てぢやう・まゝいづこ/たうそう・かうべしない・かくしよ・ひじやう/せん・は・そうさく・はう・らう・げんぢゆう/けいかいせん・とつは・やまつた・ばんしうはうめん・たう/そう・とちうどうじつごご・じあかしおしべやむら/そうさくたい・ひじやうせん・かゝ・たいほ/」。