瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

八王子城(11)

 3月16日付(10)の続き。
 揺籃社ブックレット8『高尾山と八王子城の「今に残る怪異」の最後、32頁4〜10行め、

‥‥。二〇年くらい前になるが、八王子城山会のメンバーに不幸が/あいついだ。この城跡/を愛し大切にしている/のになぜ! とおもっ/たが、私たちもまた死/者の眠りを妨*1げていた/のかも知れない。

とある。同様の記述は『戦国の終わりを告げた城』の「造形大の怪談」の最後の段落(70頁14行め〜71頁2行め)にもあるが、こちらには椚氏の体験も書かれていた。

 私は日暮れちかくに一人で西北沢の石垣の計測をしていて、にわかにざわめきだした木の葉に/背すじが寒くなったことや、雨の日に一人で山王台から中の曲輪下まで登っていったとき、妙に/暗く陰気なものを感じたことがあるが、霊感が鈍いためかまだなにもみていない。しかし、八王/子城にはこの山や悲劇の深奥に人びとが立ち入るのを拒むようなところがあり、発掘関係者があ/いついで死んだツタンカーメン王墓とはくらべようもないが、城山会会員の半数ちかくの身辺に/不幸が生じた。――偶然であり、思い過ごしであるとはおもうが。


 この程度の気配なら私もどこぞかで感じたことがあるような気がするが、見たことはない。ツタンカーメン王墓の「ファラオの呪い」を事実として扱っている。アガサ・クリスティの「エジプト墳墓のなぞ(The Adventure of the Egyptian Tomb)」では、と云って私はTVドラマ「名探偵ポワロ」を見ただけだけれども、殺人事件に活用(?)されていた。――まぁ偶然だろう。私も嬰児の頃に母方の祖父が死んで以来、満20歳を過ぎて父方の祖父母が相次いで死ぬまで身内に不幸がなかったが、別に神仏の加護で幸運だったのだとは思わない。みんな死ぬので、それがたまたまある時期に集まったり、間が開いたりするだけである。
 それはともかく、「西北沢の石垣」のことは、3月12日付(06)に言及した「第七章 八王子城の縄張りと道」の2節め「山麓の遺構群」の最後(156頁2行め〜159頁12行め)、11項め「西北沢の石垣群」に記述されており、計測結果は157頁右下「表2 御主殿西北沢の石垣群」に示され、158頁上「図68 御主殿西北沢の石垣群断面図(竹野功騎・菊地幹雄・著者)」があり、本文にも158頁3〜4行め「‥‥。これらの計測値は竹野さんと菊地さんの三人で巻尺で測った/もので、あまり正確ではないが、‥‥」とある。(以下続稿)

*1:ルビ「さまた」。