瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小沢昭一『芸人の肖像』(2)

 昨日の続き。
 カバー表紙の写真は051頁の犬を、別に撮したもの。
 カバー表紙折返しの写真は054頁の縮小、カバー裏表紙折返しの写真は070頁の写真の一部を縮小。
 1頁(頁付なし)扉、右上は077頁、右下は184頁、左上は165頁の写真の一部を縮小。左下の写真は197頁の見世物小屋の座員の集合写真。
 2頁(頁付なし)の写真は舗装された道路の歩道を歩く(左側通行)万歳の太夫と才蔵の後ろ姿。全面写真でキャプション等はない。
 3〜6頁(頁付なし)【目次】。
 7頁(頁付なし)「第1章 いわう芸」の扉、037頁まで。
 39頁(頁付なし)「第2章 あきなう芸」の扉、057頁まで。
 59頁(頁付なし)「第3章 とく芸」の扉、071頁まで。
 73頁(頁付なし)「第4章 かたる芸」の扉、107頁まで。
 109頁(頁付なし)「第5章 ほどく芸」の扉、121頁まで。
 123頁(頁付なし)「第6章 さらす芸」の扉、162頁まで。
 163頁(頁付なし)「第7章 みせる芸」の扉、182頁まで。
 183頁(頁付なし)「第8章 さすらう芸」の扉、215頁まで。
 216頁「随筆初出」。途中に挿入されている小沢氏の随筆11篇の初出が示されるが、10篇め(204〜205頁に掲載)のみ、

よみがえったホンモノの芸能「山口県光市の猿回し」出典未詳

となっている。
 随筆はいづれも再録であり、本書のために新たに執筆された文章は昨日問題にした217頁「本書刊行にあたって」のみである。しかしながら初出と対照させる準備も出来ていないので、今回は差当り写真のキャプションのみをチェックすることにした。なお他の小沢氏の放浪芸関係の著作との関係も、重複する写真も若干見受けられるようだし、新出の写真であっても別の写真や文章では既に紹介されているはずだから、そういった対応関係も見て置くべきなのだが、やはり対照させる準備が出来ていないので、詳細は後日に回すことにする*1
・063頁の写真に「お説教を聞いて本堂から出てきたおばあちゃんたち/(兵庫県亀山市本徳寺)」とのキャプションあるが、亀山市は全国に三重県のみ。本徳寺は兵庫県姫路市亀山にある、「亀山御坊」「亀山本徳寺」と称される浄土真宗本願寺派の寺院である。このキャプション、誰が何に基づいて記入したのか正確なところは分からないが、恐らく「兵庫県亀山本徳寺」程度のメモがあったのを、地名に昧い編集担当者が亀山市と結び付けてこのように書いてしまったのだろう。しかし参考図書が揃っているところに出向いてに地名辞典や大判地図に当たらないといけなかった20年前ならともかく、端末から何でも(偏りはあるが)検索出来るこの御時世に、小沢氏のメモが「亀山市」と誤記していた可能性もあるけれども、そうだとしてもそれをそのままチェックもせずに載せてはいけないだろう。
・064頁の写真に「いたこではなく、ただおしらさまを持って座っているだけの女性たち/(青森県南津軽郡平川市猿賀神社 1970年)」、065頁の写真に「いたこ(青森県南津軽郡平川市 猿賀神社 1970年)」とのキャプションあるが、平川「市」なのだから「南津軽郡平川市」はおかしい。平川市は平成18年(2006)1月1日発足で、昭和45年(1970)当時は青森県南津軽郡尾上町猿賀であった。これも「南津軽郡尾上町」などと小沢氏のメモにあったのを、尾上町が現存せず合併により平川市になっていることは確かめて、しかし「南津軽郡」はそのままにして「尾上町」だけ「平川市」と書き換えたのであろう。
・080頁の写真には「江州音頭(滋賀八日市市〈現・東近江市〉1970年)。でろれん祭文同様に錫/杖をもち、でろれんでろれんととなえながら語る」とのキャプションがある。東近江市の発足は平成17年(2005)2月11日。――「平川市」についても同様に表示すれば良かったのではないか。とにかく処理に一貫性がない。
・114頁及び115頁の写真に、それぞれ「八人芸 津島留吉(秋田県田沢湖町 1991年)」とのキャプションがあるが、秋田県仙北郡田沢湖町は平成17年(2005)9月20日角館町等と合併して仙北市になっている。これは当時の地名だけを表示していて、やはり一貫性がない。
・189頁の写真に「中州の立琴流し、上田正夫(福岡県博多市 1970年)。この琴を縦に抱えて/夜を流す。美声であった。」とのキャプションがあるが、博多の盛り場「中洲」は当用漢字表による漢字制限*2に関係なく「中洲」なのであって「中州」ではない。或いはこれは単純な入力(変換)ミスなのかも知れないが「博多」は明治の市制施行当初から「福岡市」だったので、これも小沢氏の「福岡県博多」とのメモをそのまま「博多市」としてしまったのであろう。
 キャプション、特に地名の処理について気になったところは以上である。(以下続稿)

*1:やらない、と云うか、出来ないかも知れない。

*2:このため「滿洲」を「満州」と表記するようになった。