瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小林信彦『回想の江戸川乱歩』(08)

・対談「もう一人の江戸川乱歩」(1)
 対談「もう一人の江戸川乱歩」の本文は、単行本5〜55頁(7行め)、1頁15行、1行38字。文春文庫版11〜60頁、11頁は最初の5行分空白、60頁は14行めまで。1頁15行、1行39字。光文社文庫版11〜61頁、11頁は最初の5行分空白、61頁は6行めまで。1頁15行、1行38字。
 すなわち、単行本と光文社文庫版は同じ字配りであるが、単行本が757行であるのに対し、光文社文庫版は751行で行数が同じではない。とにかく1行字数の同じ両者を比較することによって、異同も比較的容易に指摘出来る訳である。
 以下、単行本と文庫版の異同を挙げて置こう。文字の増減がある場合は殆ど拾えたと思うが表記の異同までは手が回っていない。かつ、当ブログで後日記事にする予定の記述に見える異同はここに指摘しなかった。引用に際し、段落の途中を抜いて前後を省略した場合、省略箇所を「‥‥」で示した。加筆修正は文春文庫版にて行われているので本文は文春文庫版のものを示した。但し字配りが異なるので文春文庫版の改行箇所「/」で、光文社文庫版の改行箇所を「|」で示した。
・単行本6頁13行め「‥‥なんていう批判の手紙を出したんですよ。‥‥」→文春文庫版13頁3行め「‥‥なんていう批判の手紙を編集部に出したんですよ。‥‥」=光文社文庫版13頁3行め
・単行本7頁3行め「‥‥のっている‥‥」→文春文庫版13頁8行め「‥‥載っている‥‥」=光文社文庫版13頁8行め
・単行本7頁5〜6行め「‥‥頼まれた/ら、誰でも書きますよ。」→文春文庫版13頁10〜11行め「‥‥頼ま|れたら、まあ、誰/でも書きますよ。」=光文社文庫版13頁10〜11行め
・単行本8頁9行め「‥‥。謝礼は毎月一万円でした。」→文春文庫版14頁14行め「‥‥。謝礼は毎月五千円でした。」=光文社文庫版14頁14行め
 これに続く段落は全文を抜いて置こう。単行本8頁10〜15行め、

 一万円というのは、「どのくらいあったら、今一人、ひと月食えるのか」って訊か/れたからなんですね。いくらなんでも当時一万円というのは、ないわけですよ、初任/給が一万四、五千円の時代ですから。でも、まあこっちは、自分のことじゃないと思/ったので、「一万円ぐらいじゃないですか」って、言ったんですね(笑)。乱歩さんは/フツー人の金銭感覚がないんですよ。一万円あれば食えるなら、一万円あげると/(笑)。会社へ来て、月に二回、きみの意見を述べてくれということです。


 これが文春文庫版及び光文社文庫版14頁15行め〜15頁5行めでは、以下のようになっている。

 五千円というのは、「どのくらいあったら、今一人、ひと月食えるのか」って訊か|れ/れたからなんですね。いくらなんでも当時五千円というのは、ないわけですよ、初任|給が/一万四、五千円の時代ですから。でも、まあこっちは、自分のことじゃないと思|ったの/で、「食費は五千円ぐらいじゃないですか」って、言ったんですね(笑)。乱歩|さんはフ/ツー人の金銭感覚がないんですよ。五千円あれば食えるなら、五千円あげる|と(笑)。/会社へ来て、月に二回、きみの意見を述べてくれということです。


 この変更は大きい。単行本のみを見た人と文庫版のみを見た人とで、話が噛み合わなくなる虞がある*1
 それはともかく「食える」と云うのは常識的に考えて「生活出来る」の意味であろう。「五千円」が正しいとすれば「食費は」と限定しないと確かに安過ぎる。しかし「食費は」が付くと、「食える」額を訊かれて実際に「食」う分の額=「食費」を答えた小林信彦も、妙に理屈っぽい、別の意味で「感覚」の違う人のような印象になってしまう。――筋を一度通してしまったものを後で部分的に修正して、何だかおかしくなってしまうケースは少なくないが、ここもその類であろう。じゃあどう修正したら良いのか、と云われても、難しいのだけれども。(以下続稿)

*1:小説「半巨人の肖像」では文庫版も「一万円」のままである。文春文庫版で本書を通読した私は、「半巨人の肖像」で詳しく「一万円」の算出基準を述べているのを読んで、対談に「五千円」とあったこととの齟齬が気になったものだった。この点については小説について検討する際に再説する。