瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

偽汽車(2)

 昨日、岩佐東一郎『隨筆くりくり坊主』から「近所界隈」の、人力車の乗客が消えた話を検討して見た。自分達が死んだ辺りで人力車に乗って、そしてその念が及ばなくなったところで消えた、と云う解釈になろうか。しかし五六人が一斉に、全く跡形もなく消えたのではなく、膝の形はそのままだったとはどういう仕組みだ。……と、まぁこんな話の理屈をまともに考えても仕方がないのだが、私はどうしても突っ込みたくなってしまうのである。
 当時は池上電氣鐵道(現在の東京急行電鉄池上線)も開通しておらず、当時の池上本門寺の最寄駅は東海道本線(電車線)の蒲田駅であるが、池上街道で繋がって歴史的に縁の深い大森駅の方が、一般に利用されていたのであろう。
 それはともかく「近所界隈」には、これに続いて、一九一頁12行め〜一九二頁3行めに、東海道本線の、現在の東京都大田区、『くりくり坊主』刊行当時の東京市大森區、昭和7年(1932)までは東京府荏原郡大森町・入新井町の、偽汽車の話*1が添えてある。

 その頃、大井大森の雜木林には狸がゐた。梟もゐた。梟の啼き聲は、僕もよく聞いた。狸は、/以前大森に住んでゐた徳川夢聲が、教へてくれた。何でも、お會式がすむと、あと半ケ月位は、【一九一】夜更けになると、ドンドンドコドコと腹鼓の眞似をしたり、夜半の貨物列車が過ぎ去ると、しば/らくしてそつくり同じにゴツトントン、ゴツトントンとやつてゐることがあるさうだ。だが、徳/川夢聲が大森を離れたら、狸もゐなくなつたのか、僕は聞いたことがない。


 2012年3月26日付(1)に紹介した横浜線の例のように、走る様が目撃されたのではなく、本物の汽車と正面衝突して死んでしまったというのでもなく、ただ音が聞こえたと云うだけの、素朴な話である。(以下続稿)

*1:徳川夢声(1894.4.13〜1971.8.1)の大森在住時期が分かれば時期を絞り込めるが、未確認。