淡谷のり子(1907.8.12〜1999.9.22)は、私は老婆になってからしか知らなくて、それこそ石原慎太郎(1932.9.30生)が先月、都知事選候補(後に当選)に対して言ったような「大年増の厚化粧」だったから、子供心に怖くて仕方がなかった。昔から化粧の濃い女性が苦手で、TV番組で突然カメラに撮られて「いやぁ〜ノーメークっ!」と大騒ぎして引っ込んで、暫く後にばっちり化粧して出て来たのを見て、こんな不気味に厚塗りするくらいなら余っ程「ノーメークっ!」の方が良かったのに、と思うことがしばしばである。いや、化粧だけではない、目が細くて恰幅の良い老婆がどうも苦手で、だから二葉あき子(1915.2.2〜2011.8.16)にも恐怖していたのである。子供のことだから歌唱力なんか分からない。単純に見た目で判断して生理的に恐怖を覚えたのである。
そこで、今思い出すと悔やまれてならないことがある。父方の伯母が、私のことを可愛がってくれたのだが、肥えて目が細くて白く塗っていたのである。細い優しい声でゆっくり喋るのも苦手だった。まだ子供だった私は怖がって、あからさまに逃げたりはしなかったがあまり接しないようにしていた。今になって客観的に判断するに、何をされた訳でもないのに、いや、本当に可愛がってくれたのに、申し訳なくて仕方がない。しかし上方落語「饅頭怖い」の、怖い物を言い合う場面ではないが、理屈ではないのである。肥えて目が細くて厚化粧が苦手な理由は――強いて云えば、家で同居して見慣れていた唯一の女性である母がまるで正反対だった、と云うことになろうか。私は子供の頃から5月24日付「昭和50年代前半の記憶(1)」に述べた中学生は当然丸坊主、みたいな感じで、妙な按配に規範意識が強かったので、そこから外れる者を許容するのが難しかったのだろうと思うのだ。
それはともかくとして、淡谷氏が幽霊を見たり感じたりしていることは、2011年1月12日付「画博堂の怪談会(1)」に書影を貼付したちくま文庫『文藝怪談実話』に、淡谷氏の「私の幽霊ブルース」と云うエッセイが載っているので知っていたが、私は1月14日付「子不語怪力亂神(1)」等、度々述べたように体験談が苦手なので、あまりまともには読んでいなかった。
それを、わざわざ取り上げようと云う気になったのは、考証のしがいがある内容だ、と思ったのが1つ、もう1つは、現在流布されている話にはいろいろと思い違いが含まれているので、改めて実際のところを提示して置く意義もあろうかと思ったことにある。
・竹書房文庫『ライブ全集①'93〜'95 稲川淳二の恐怖がたり〜祟り〜』2002年5月7日初版第1刷発行・定価648円・420頁

- 作者: 稲川淳二
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2002/04
- メディア: 文庫
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
239〜332頁「第四章 地方が舞台の「恐怖劇場」」の1話め、240〜249頁「地方巡業の夜、淡谷のり子を襲った恐怖/私に語り継がれて、今、よみがえる…(1994)」がそれである。
細かい内容については後で見ることにして、取り敢えず末尾の文句を引いて置こう。249頁12〜13行め、
「あなたにだけ話したけど、不思議なこともあるでしょう――淳ちゃん」
淡谷先生、言ってましたよ―――、話してくれた時に…………。
淡谷氏が話した時期は明示されていないが、晩年、バラエティ番組に出演した折のことであろう。
本当にこんなことを言われたのだとすれば、この話を稲川氏が「私に語り継がれて、今、よみがえる…」と題しているのも分かる。ここで注意されるのは、稲川氏が怪談ライブでこの話を語ったのが平成6年(1994)、淡谷氏の生前であったことで、やはり本人の生前から語っていたと云う「生き人形」と同様、証言者としての信憑性を高めているし、かつ継承者であるかのような印象を聞き手に与えることになる。
しかしながら、淡谷氏は自伝でたびたびこれを語っており、それは『文藝怪談実話』387〜386頁「初出/底本一覧」に、386頁4行め「私の幽霊ブルース 『大法輪』1959(昭和34)年6月号」とある、「私の幽霊ブルース」よりも前に刊行された自伝にも実名で、詳細に述べられているのである。また、淡谷氏が晩年に出した複数の自伝(もちろん本人が執筆したのではなく、書き方も談話をまとめたようになっている)にも繰り返し語られている。「あなたにだけ」なんてことはないのである。(以下続稿)