・別冊太陽 日本のこころ 198「山田風太郎」(3)
それでは昨日、図版から翻刻した日記原本の昭和17年(1942)3月29日条と30日条のそれぞれ一部を、活字本『戦中派虫けら日記』と比較して見よう。
大和書房版は未見、「/」は未知谷版(131頁上段16行め〜132頁上段1行め)の改行箇所、「\」はちくま文庫版(192頁12行め〜193頁11行め)の改行箇所。
異同は、原本には見当たらない箇所を太字で、別の用字や表現に書き改めている箇所を灰色太字にて示した。
ゆくではないか。
故郷には、こんどの受験のことは永遠の秘密となる/であろう。彼らは自分を都会にあこが\れて勝手に飛び/出した勉強ぎらいの怠け者と見ていることであろう。【未131上】しかし、それもやむを\得ない、すべては沈黙である。
三十日*1【ち192】
○貧乏ぶりが逼迫して来た。何もかもこの一戦にか/けていたので、文字通りもう一文も金\がない。ともか/くも今日は絶食する。
そして、どうせ当選しても三ヶ月もあとのことだの/に、懸賞金ほしさに『螢雪時代』募集\の学生短篇小説/を書きはじめる。まるで子供じみている。
○その第一、いつか退社を労務課へ願い出て叱られ/たときに胸に浮かんだ「国民徴用令」
その第二、いつかの小西の訪問をヒントにした「勘/右衛門老人の死」
四月三十日〆切なので、毎朝七時半から夜九時半ま/での会社勤務の身ではなかなかの仕事だ。
自分の能力が子供だましのものであることは、自分/でもよく承知している。だからこそ今\まで浮かんだ腹/案は、少し先になるとバカらしくて書く元気がなくな/りそうな不安があるか\ら、妙な話だが、いまのうちに/書いておきたいとも思う。【未131下】
その他の腹案。「蒼穹」*2
昨日、同様に処理して示した日記原本と比較すれば、かなり整理されていることが明らかであろう。
細かく指摘することはしないが、感情が表出している表現や拙い表現を落ち着いたものに改めている他、小説の腹案を殆ど削除して題名のみ、中には題名も含め完全に省かれてしまったものもある。
しかし、こんなことは山田氏の日記に関心を持つ熱心な読者であれば、「別冊太陽」刊行直後に気付いていたことであろう。もちろん研究者や関係者も気付いているはずである。何も私が今更らしく指摘するまでもないであろう。しかし、何故かネット上に特にこのことに注意したページが見当たらぬようなので、敢えて、素人にも出来る範囲の作業を済ませて置こうと思ったのである。――いや、このような突っ込みが入って原本の公開を求める声が上がって出版の後押しとなるよう、わざとこんな箇所を示したのではないか、とも疑われるのである。(以下続稿)