瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山田風太郎『戦中派不戦日記』(2)

・角川文庫16507 山田風太郎ベストコレクション

・平成二十二年十月二十五日初版発行(603頁)定価952円
 講談社文庫版と角川文庫版の詳しい比較は改めて試みることにするが、「まえがき」と「あとがき」が、昭和48年(1973)講談社文庫に初めて収録された際に加筆修正されたものではなく、昭和46年(1971)の番町書房からの初刊本のものを収録していること、初刊本の口絵「昭和二十年の記録」を再録していること、そして講談社文庫版の橋本治「解説」をそのまま再録し、さらに日下三蔵「編者解題」にて発表に至る経緯から諸本の関係について述べてあるので、現在新刊書店で入手可能な講談社文庫版(新装版)と角川文庫版と、どちらか1冊と云うことになれば、私のようなことを気にする者には、角川文庫版の方が有難い。老眼が進んだらそうも云っていられなくなるかも知れないが。

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 さて、原本と活字本にかなり大きな、意図的な異同があるらしいことは、9月9日付「山田風太郎『戦中派虫けら日記』(9)」で見たように、既にネット上にも指摘があるから、いよいよ今更私が出しゃばる段ではないだろう。とにかく山田氏は自らの日記を整理して、適宜「嘘」にならない範囲で書き改めているのであるが、全体としても、時勢に合わせて歴史的仮名遣いであった原文を現代仮名遣いに改め、常用漢字に改めなどしている訳である。
 しかし、この表記替えを機械的にこなしてしまうと、いろいろとおかしなことになってしまう。
 当ブログでもかつて、2014年7月19日付「織田作之助「續夫婦善哉」(5)」及び2014年7月20日付「織田作之助「續夫婦善哉」(6)」にて、登場人物の手紙を、現代仮名遣いに機械的に直してしまったことで、作者が意図して書いた仮名違いが分かりにくくなっていることを指摘した。近年の創作だけれども2014年7月22日付「中島京子『小さいおうち』(40)」も参考までに添えて置こう。戦前の作品を現代仮名遣いに改めるのは、もう仕方がないとしても、杓子定規に現代仮名遣いに改めて良いと云うものではないのである。意味がある場合は歴史的仮名遣いを保存するべきであって、戦後数十年の封印を解かれた手紙が現代仮名遣いでは、百年の恋も醒めようと云うものだ。本来なら地の文だって歴史的仮名遣いであるべきなのだが、そこはまぁ、作者もしくは登場人物の語りと考えて、発音通りで良しとしよう。しかし、作品の中に登場する手紙は、形を持たない音声とは違う。作中に登場する紙に書かれた文字であり、それは当然、その当時の書き方で書かれているはずだ。そこまで改めてしまうと、いろいろと不都合が生じてしまうのである。(以下続稿)