瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

阿知波五郎「墓」(4)

 それでは、阿知波五郎「墓」の内容について、鮎川哲也『こんな探偵小説を読みたい』所収本文(414〜440頁)をもとに確認して置きましょう。
 415頁5行め。主人公の「しまは青葉保育園の保母である」。
 414頁7行め、舞台は「M大学附属、文化研究所の書庫」です。415頁6行め、ここを管理している「司書の渋谷」は、7行め「大学で支那哲学を専攻したと聞く」人物で、蔵書は、431頁14行め「――文化、文明、教養、文学、美術、芸術――」に関する、16行め「この東洋文庫稀覯本」とあります。もちろん大正13年(1924)設立の財団法人東洋文庫とは別で、東洋学を中心とした文化研究所と云うことでしょう。
 時期ですが昭和26年(1951)夏でしょう。10月4日付(1)に見たように、この作品は『宝石』二十万円懸賞短篇コンクール(第5回宝石賞)に応募して候補作*1として昭和26年(1951)12月刊の「別冊宝石」に掲載されました。いづれ募集時期など雑誌「宝石」に出ている告知を確認するつもりです。
 細かく見て置きましょう。421頁8行めまでが、417頁18行め「――七月十九日、暑中閉館の前日‥‥」の出来事です。以下は1行空けて、日付のみの1行があって本文が続くと云う日記形式で、「七月二十日。」が421頁9行めから、「七月二十一日。」が424頁12行めから、「七月二十二日。」が427頁12行めから428頁17行めまで、「七月二十三日。」が429頁1行めから、「七月二十四日。」が434頁13行めから、「七月二十五日。」が438頁12行めから。
 そして最後、440頁3〜15行めは日付不詳、恐らく主人公が死んでしまった後のことです。しかし、はっきり死んだとは書いてありません。同じ日のことのようですが、ここがどうもおかしいのです。前半の1段落(440頁3〜8行め)は「それから何日が過ぎたのであろうか。‥‥」で始まっています。そして、6〜7行め「‥‥。しまが企てたように、一ヶ月後渋谷がここに入って/この情景を見たとき、何と思うであろう。‥‥」とあって、9月まで暑中閉館として、まだ7月末か8月の頭のようです。ところが8行め、この段落の最後には「‥‥。あと旬日足らずで開館の日が来る――。」とあって、開館まで残り数日、8月下旬のことになります。
 これも、10月6日付(3)に言及した鮎川氏の云う「そのミス」の候補となりましょう。
 ところで「墓」と云う題は最後(440頁9〜15行め)の、主人公を「かァちゃん」と言って慕っている、主人公の嘘を見抜く勘の良さを持ち合わせている戦災孤児「太郎」が、主人公と同じ保育園に同じく住み込みで働いている保母で、主人公の親友である那美に引率されて大学構内のプールに行く途中、この文化研究所の書庫の脇を通って、この建物は「墓だ」と主張すると云う、印象的なオチに由来しています。(以下続稿)

*1:11月2日追記】投稿当初、うっかり「選外佳作」として、そのままにしていましたが、川口則弘のサイト「文学賞の世界」の「宝石短篇賞受賞作候補作一覧」及び、広島桜2のコメントの指摘により訂正しました。