瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

人力車の後押しをする幽霊(4)

 さて、海賀氏が「事実はともかく」としているのは、10月24日付(2)に挙げた初代三遊亭圓左の速記に、マクラ(悋気の火の玉)から本題の幽霊車に切り替えるに際して、例えば『圓左落語會』では139頁6行め「……是れは全たく有りましたお話しでございます……*1」と言っていることを踏まえているのであるが、その原型となった「事実」については八代目林家正蔵(1895.5.16〜1982.1.29)が、「幽霊車」には触れていないものの初代三遊亭圓左の体験として紹介している次の話が、それであろうと推測される。
 9月22日付「林家彦六『正蔵世相談義』(1)」に取り上げた林家彦六正蔵世相談義』には、幾つか怪異談が載っている。そのうち最も整っているのが「私の霊魂存在説」の章に、154頁10行め「幽霊の助け」と題して載る話である。154頁11行め〜155頁11行め、

 また、姿を見せない幽霊てえものは、やっぱりちょいと恐いんでね。これは初代の三遊亭円左と/いう、地味だが大変に優秀な噺家が、九段を上った富士見町てえ所に昔からお茶屋があり、そこで/お客が待ってるからって言われて、神田の寄席をはねて直に車にのった。九段坂にかかってきて気/がついたら、この車夫*2がいかにも老体なんだね。年寄りじゃこの坂は登りきれない。「ねえ若い衆/さん」って、幾つになっても車夫には〈若い衆〉というべきもんなので「若い衆さん、降りて歩こ/うかね。空車*3なら上れるだろうから、坂の上まで降りて歩こうかね」って、そう言った。すると車/夫が「よろしうございます。大丈夫です」って言うから、そのまま乗ってったらね、これがスース/ースースー坂を上ってくんだね。と、途中で、梶棒を握っているその車夫が「あァ来てくれたか。/有難う。有難う、おかげで助かるよ」って言ってる。誰が来て、後を押してんのかと思って振返っ/てみたら、誰もいない。とうとう坂を登りきって「さて若い衆さん。おまいさん途中でね『また来/てくれたかい。有難う、有難う』ってたが、ありゃいったい何だい?」「私がこんな年ですから、/お客様のっけてこの坂へかかってくると、死んだ家内が出て来て後押しをしてくれるんです」。見/ていない幽霊だがゾーッとしたってえ話ね。これは実話なんですが、初代の円左って人は明治年間/生きていたでしょう。だから私は霊魂というのは実在していて、時にはそういう姿を現わすことも/あるんだろうと思うんですがね。


 どうもこの方が、赤児を登場させて何故子連れなのかをくどくど語らせるより余程すっきりしていて良い。「幽霊車」では、客が人力車に乗っているのは赤児の存在に気付くまでで、後は専ら車夫が自分から、10月23日付(1)に引いた『落語事典』の表現を借りれば「気味の悪いことばかりいうので」ある。そんな本当だかどうだか分からない自己申告を聞かされるよりか、――老車夫なのにスイスイ坂を登り、しかもぶつぶつ独り言を言う、その方が余程聞き手の興味を引きそうなものだ。しかもオチは海賀氏の云う通り「無理につけた事は明らか」と云った体のものである。しかし作者としては、ここまでしないことには落し噺にならないと考えたのであろうか。とにかく、八代目林家正蔵の云う通り初代三遊亭圓左が事実こんな体験をしたのだとすれば、「幽霊車」は初代三遊亭圓左が体験を踏まえて新作したものと云うことになるのであろう。(以下続稿)

*1:ルビ「こ・まつ・あ・はな」。

*2:ルビ「しやふ」。

*3:ルビ「からぐるま」。