瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

鉄道人身事故の怪異(10)

 2014年5月10日付(09)から随分間が空いてしまった。すぐにも続稿を上げるつもりだったのだが、小池壮彦『日本の幽霊事件』が取り上げる、昭和35年(1960)7月の常磐線中川鉄橋での男性工員(18)の自殺について、「朝日新聞」や「読売新聞」のデータベース、或いは「毎日新聞」や「日本経済新聞」の縮刷版を検索しても記事が出て来ないのである。と云ってももう2年半前のことで、当時のメモも何処かに行ってしまったのでどこまで調べたのか定かには記憶していないのだけれども、『日本の幽霊事件』150頁15行めに見える「ちょうどこの頃、亀有で未亡人殺しがあったので」と云う通り魔事件の記事はすぐに検出出来たのに、その後、遅くとも8月上旬くらいまでに、同書150頁8行めによれば、

 この事件は、「ボートが二度転覆/まつわりつく白い手」などの見出しで報道された。

はずの事件の記事が一向に検出されないのである。それで、――運転士の名前や年齢が明らかにされていたり、遺体の捜索状況の記述が詳し過ぎるところからすると、どうも、新聞報道ではなく週刊誌の記事らしいと思ったのだが、昭和35年(1960)の週刊誌を所蔵する図書館に調査に出向く余裕が当時なかったので、そのままになっていた。
 以前の小池氏は典拠を明示していたのに、近年の小池氏は典拠を示さない。
 そう言えばこの一件について、『日本の幽霊事件』204〜214頁「…………………補章①/妖しき痕跡を巡って」に、4つの章について雑誌連載後に判明したこと等を補っているのだが、その最後、212頁8行めに「中川鉄橋の怪・後日談」として、212頁9行め〜214頁4行め、

 中川鉄橋にまつわる話の補足をしておく。電車に飛び込んだ男性の自殺の理由がわから/なかったので、本論では仕方なく不明と書いたが、後に少し判明した。
 男性はある女性に恋をしたが、交際のきっかけがつかめず、手紙を書いても自分で渡す/勇気がなかった。そこで親友に頼んで手紙を渡してもらったところ、その親友と相手の女/性が仲良くなってしまい、「俺たち付き合うから」のようなことを言われたらしい。ショ/ックを受けて、ふらふらと鉄橋を歩くことになったようだが、話はここからである。【212】*1
 相手の女性も、後に自殺したのだという。先に自殺した男性の命日に、中川鉄橋の同じ/場所で電車に飛び込んだ。なぜそうしたのか、動機などは一切不明だが、毎夜うなされて/いたという話がある。死の当日は特に様子がおかしく、いきなり家を飛び出した。
「あっ、恐ろしい顔――」と叫んだのが最後の言葉だったという。


 これはかなり大きな「自殺の理由」になるので「少し」ではなかろう、と云う気がするのだが、それ以上に気になるのは小池氏がこの話をどこから仕入れたのか、と云うことである。それこそここに登場する「親友」か、後追い(?)自殺した「女性」の身内か、それに近い人物に取材したのでなければ、分かりそうにないような内容である。書き振りからして複数の取材源があるかのようだが、しかし『日本の幽霊事件』刊行のちょうど60年前の出来事である。今更そんな複数の情報源が見付かるものだろうか。それに「少し」と言いながらその「少し」が具体的で出来過ぎている。この辺り、もう「少し判明」するに至った事情を説明してもらわないことには、この件はどうにも信用しづらいことを、ここに敢えて表明して置きたい。(以下続稿)

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 これまでこの記事の文体は敬体でしたが、常体で書き始めてしまったので今後は常体にします。敬体か常体かはそのときの気分で、うっかり違う文体で書いてしまったとき、後で気付いて従来の文体に合わせようとしても上手く行かないのでそのままにしています。本にするのならともかく(そのときは必要に細かい確認事項などもばっさりと刈り込まないといけないでしょうが)そこまでしなくても良いと思うのです。

*1:213頁は写真を2つ掲載、中川鉄橋にまつわる話とは無関係。【2020年8月27日追記】212頁12行め「幽鬼」と誤っていたのを「勇気」と訂正。