瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田辺貞之助『うろか船』(6)

 12月11日付(5)の続きで、7章め「ラジオ歳時記」について。
 192頁、1行めに2字下げで大きく明朝体で「ラジオ歳時記」とあり、2行めは6字下げでやや小さく「昭和三十一年十一月四日 (日)」、3行めは7字下げでやや小さく「前七、四五――八、〇〇」、4行めは12字下げでやや大きく「N・H・K 第一放送」とある。2行空けて「歳時記」らしく句の引用(2字下げ)から始めている。
 田辺氏が引用している詩や句を見て置きたいところだが、それよりも取り上げられている話題について見て置くことにする。話題の転換ごとに9字下げの「……………………………」が挟まれる。仮に番号を附した。
】192頁5行め〜193頁1行め、6〜7行め「大正もなかばのころ、私どもの学/校で、塩原へ修学旅行にまいりました。」
】193頁3〜7行め、小咄で「パリはブーローニュの森」での父子の会話。
】193頁8行め〜195頁11行め、「あの有名なヴェルレーヌの『秋の唄』」と「これと同じ秋のわびしさをうたった芭蕉の俳句」。
】195頁13行め〜196頁9行め、「葛西*1の海でとれたばかりのいわし」。
】196頁11〜15行め、「食べ物の味」ち「季節、季節の思い出」。
】197頁1行め〜15行め、「下町の秋の景物」の「バカ貝売り」。
 198頁、1行めは6字下げでやや小さく「昭和三十二年二月二十四日 (日)」、2行めは7字下げでやや小さく「前七、四五――八、〇〇」、3行めは9字下げでやや大きく「N・H・K 第一放送」とある。2行空けてやはり句の引用(2字下げ)から始めている。
】198頁4行め〜199頁10行め、「広瀬惟然」。
】199頁12行め〜201頁2行め、、199頁15〜16行め「それは江戸時代の中頃に中国の怪/談から翻案した『とぎぼうこ』という小説集の一篇、『早咲きの梅の精』です。」
】201頁4行め〜202頁6行め、「二月中は初午から三の午まで」の「お稲荷さま」の「お祭」。
】202頁8行め〜203頁6行め、「目掘り」。
】203頁8〜16行め、「長手」で見た「きつね火」。
 204頁、1行めは6字下げでやや小さく「昭和三十二年八月二十四日 (日)」、2行めは7字下げでやや小さく「前八、三〇――八、四五」、3行めは9字下げでやや大きく「N・H・K 第一放送」とある。2行空けてやはり句の引用(2字下げ)から始めている。
】204頁4〜11行め、「出水さわぎ」と「金魚」。
】204頁12行め〜205頁7行め、「大正六年」の「大洪水」。
】205頁9行め〜206頁1行め、「私の故郷の家」の周囲の「蓮田」。
】206頁3〜12行め、「蓮の花が咲く音」。
】206頁14行め〜207頁2行め、「先年」行われた「上野の不忍池」での「蓮の花が咲くときに音がするかしないか」の「実験」。
】207頁4行め〜208頁5行め、「うなぎ」とともに「天上し」た「うなぎやの亭主」からの「代筆」の「短冊」。
】208頁7行め〜209頁1行め、「百文銭」を欲しがる「大きなタコ」。
】209頁3〜16行め、「四面を海にかこまれていながら、海に親しむということはあまりなかったよう」である「日本人」。
 こうして見て行くと、どうもこの放送が『女木川界隈』から『江東昔ばなし』に至る故郷懐古談の始まりであったように思われるのである。(以下続稿)

*1:ルビ「かさい」。