瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田辺貞之助『うろか船』(9)

 昨日までで本書の装幀から細目、奥付から目録に至るまでを略述した。
 私がこの本を見ようと思ったのは、11月29日付「田辺貞之助『江東昔ばなし』(5)」及び11月30日付「人力車の後押しをする幽霊(6)」に述べたように、最晩年の『江東昔ばなし』の内容が、20年以上前から書かれていたらしいことに遅ればせながら気付いて、それがどこまで遡るのか、何度も書いているうちに内容に変化が生じていないか、そんなところを確認して置きたくなったからである。しかし、現在容易に見ることの出来ない本なので、細目を一々挙げて、もちろんそれは私自身の備忘録なのだけれども、その上で細かい内容に及ぼうと思ったのである。
 ちなみに『女木川界隈』の方は返却期限まで10日ほどあって、とにかく本書のメモを急いだので、まだ細かく目を通していない。そこで差当り本書の、『江東昔ばなし』と重なる記述を拾って置くことにした。
 10章め「男と女の九章」の263頁8〜14行めの段落、

 わたしの知合に、小学校を同じ年に出、それぞれ師範学校と女学校をへて、同じ母校の訓導に/就職した男女があった。二人はいつしか熱烈な恋愛におち、郊外の春の野を夜な夜な相擁してあ/るいた。わたしは二人の関係を心から祝福した。ところが、男は財産上の事情で、折からすでに/妊娠していた恋人をすてて、親戚の娘と結婚してしまった。捨てられた女は父なし子をうんだ恥/にせめられて、ついに胸をおかされ、涙のなかで哀れに死んでいった。一方、男はその後も立派/に小学教員としてつとめ、いまは校長になっている。こんなことは極めて平凡、かつノーマルな/事件で、特に申しあげるまでもないが、世の女性にとって一種の警告になるだろう。


 この話は『江東昔ばなし』の3章め「江東の人と暮し」の「1 江東の夫婦」*1の9項め「生き別れ」に似ているように思ったのである。――男は「中里君」と云う「小学校の教師」で、「ゆかり」と云う相手の女が「別れたときに妊娠にしていた」こと、そして子供を産んで3年ほど後に女が「死んでしまったときいた」と云った辺りは似ている。しかしながら、「中里の実家は千葉県君津郡のある村の村長」とあって、地元の「母校の訓導に就職した」と云う風ではない。かつ「二人がどういう因縁で知り合ったのか知らないが、かなり熱烈な恋愛のすえ、半年ばかり前に結婚したばかりであった。確か昭和四年の春だった。」とあって女の方は教師ではなかったようである。田辺氏と「友人」となったのも「結婚するまで近所に下宿していたので、かなり親しくしていた」とのことであった。――田辺氏は「あたしたち別れそうなの」と泣きついて来た女に伴われて、2人の「新居」に「行ってみると、ゆかりの母親と中里の姉」が「猛烈にやり合って」いる。別に「財産上の事情で」女を捨てたと云うことにはなっておらず、自分の姉と「いがみ合」う「我のつよいヒステリックな」義母を見ているうちに「娘に対する愛情も一時にさめてしまったのかもしれない」と云うことになっている。
 これについて『江東昔ばなし』上製本127頁16行め〜128頁4行め、

 この夫婦は、それから同じようないがみ合いが二、三度あって、ついに別れてしまった。私はあ/れだけ熱烈な恋愛をし、世間の噂になったほどの二人なのに、こんなに簡単に別れられるのかと呆/れかえってしまった。恋愛から結婚というのが若い男女の理想とされているが、恋愛なんて一時的/な熱病のようなものだとも云われる。そんな熱病のあげくにできた家庭は、こういう風にもろくも/崩れ去るのだろう。彼らには互いに固く信じ合って家庭を守りぬこうという熱意がなかったのだ。/だから、どうでもいいはたのものの無意味な争いに巻きこまれて、肝心の愛情まで見失ってしまっ/たのだ。

と断定するのであるが、本書の2人は結婚していない訳だから、コメントは263頁15行め〜264頁2行め、

 要するに、わたしのいおうとすることは、結婚の前提としてでない恋愛がえてして女を不幸に/おとしいれるということである。だから、恋愛至上主義者は悲しむであろうが、純乎として純な/る恋愛はありえない。男も女も妻あるいは夫としてふさわしい相手でなければ恋愛すべきでない/という、極めて計画的、打算的な恋愛だけしか可能ではない。‥‥

となっているのであるが、――2人だけで「純」粋に燃え上がったとしても、それが冷めた時点で「崩れ去」ってしまう「一時的な熱病のようなもの」だから「結婚の前提としてでな」く、とにかく「恋愛」した上で「結婚」と云う「恋愛至上主義者」を否定する辺り、共通する教訓を述べていると云えよう。まぁ同じ人なのだから当然なのではあるが。そして、私にはどうも、この2つは同じ事件を、それぞれの文章の主題に合わせて、問題になりそうな箇所をボカしたりして*2、書いているうちに違ってしまったように思えるのである。
 『江東昔ばなし』では別れてから女の妊娠が分かり、田辺氏は「その土地に居づら」くなって「千葉のほうへ転任してい」た中里に、復縁を勧める手紙を出すのだが「断」わられてしまい、女は出産「から二、三年たって、津田沼のほうへ嫁にいったとき」くが、「小一年すると、産後の肥立ちがわるくて死んでしまったという話をき」くことになる。中里がその後どうなったかは、再婚や職歴のことなど全く説明していない。(以下続稿)

*1:細目は11月28日付「田辺貞之助『江東昔ばなし』(4)」に示した。

*2:中里は姓ではなく、男の出身地の君津郡(現在の木更津市)の地名を借りたのではないか、と疑っている。