瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

今野圓輔『幽霊のはなし』(11)

 読書記録から、本書を平成22年(2010)10月15日に読み始め、毎日、1節ずつ読み進めて、11月10日に読了していたことが分かった。当時の読書メモもどこかにあるだろうと思うのだが、残念ながら見当たらない。内容は、殆ど覚えていなかった。
 2016年12月5日付(10)の続きで、第三章の1節めについて。
 111頁(頁付なし)は第三章の扉で大半は図版(16.2×7.8cm)、左側の上部に「第三章  魂 と わ た し た ち*1明朝体の題は大きい。下部、図版寄りに明朝体で小さく「お菊の霊  (豊原國周画)*2」とある。
 112頁、章題と同じ大きさの明朝体、3行取り1字下げで「生きている霊魂信仰*3」とあり、さらに1行空けて、3行取り2字下げで一回り大きなゴシック体の項目名。要領はこれまでに同じ。
  魂 の 入 場 式*4(112頁2行め〜)
    写真、113頁左上「遺影で卒業式に出席した女子高校生*5」下
       ※ 写真入の新聞記事「『これ あなたの卒業証書よ』」鶴見事故で死んだ定時制女子高校生。
       115頁左上「人  魂*6」下
       ※ 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の「人魂*7」。
  自分の葬式を自分で*8(116頁9行め〜)
    写真、117頁右上「生きて帰ってきた横井さんを報ずる新聞」下
       ※ 写真入の新聞記事「「亡き戦友残せぬ」」。これも紙名を示さない。
    117頁12〜14行め、

 ところが、世の中にはかわったことをする人もいるもので、いまでも、ときどきは、生きながら/自分の葬式をしてしまう人がいる。ほんとうに、生前葬をした人たちを、わたしのメモから年代順/にあげてみよう。*9

とあって、以下4例を挙げ、年・月と場所、職業・姓名・年齢と概要を示す(ここでは姓名は伏せる)。全員男性である。
・117頁15行め 昭和三十年(一九五五年)四月に、長野県南佐久郡中込町の開業医(66)*10
・118頁1行め〜 昭和三十四年(一九五九年)の十一月、千葉県旭市銀座通りの寿司屋(66)*11
・118頁4行め〜 同三十八年八月には、秋田県横手市の肥料商(65)*12
・118頁8〜14行め 同四十一年十二月、とうじの福岡市西春町の会社重役(38)*13
    118頁14〜15行め、

‥‥新聞に報道され、わたしの目にとまった例だけでもすくなくないのだから、日本/中で、生きながら自分の葬式をした人は、じっさいには、もっともっと多いにちがいない。


  恋人の遺骨と結婚*14(119頁4行め〜)
    写真、119頁左上「美人の幽霊 円山応挙の作といわれている。」右
    120頁2〜3行め、

 つぎに、いまはなき作曲家・山田耕筰氏の親友だった大屋喬一という声楽家にまつわる話をのべ/よう。古い話で、昭和十年(一九三五年)九月三日の新聞のメモ。話というのはこうだ。*15


 記事の紹介は120頁4行めから121頁5〜6行め「‥‥という/ところで、記事はおわっていた。」まで。
    121頁7〜13行め、

 この正子さんには、さらにエピソードがある。
 かの女は、大屋さんが、とつぜん帰国した夢をみて、夜中にびっくりしてとび起きたことがあっ/た。領事館から、狭心症でなくなったという死亡診断書がとどいたので、その日づけをみたら、夢/を見た日とぴったりおなじ日だったという。*16
 フランスでも、十六年ぶりに、なき愛人との結婚が、ドゴール大統領の特別なはからいで、みと/められたことがあった。昭和三十五年(一九六〇年)の暮れのことである。死者との結婚は、どうも/洋の東西をとわない人情らしい。*17


 「杉崎正子さん」のエピソードの方は出典を示さないし、新聞記事の方も紙名を示していない。「フランス」の方もやはり出典を示さない。
 そして、1行開けて121頁14行めから台湾の「幽霊と婚約式をあげた男の話」の紹介になる。122頁1行め「昭和三十一年(一九六三年)夏のことである。‥‥」と書き出しているが、昭和31年(1956)か昭和38年(1963)か。
  天国にむすぶ恋*18(123頁2行め〜127頁7行め)
    イラスト、124頁右上
    写真、125頁左上「八百屋お七』のお七の芝居絵 国芳画)*19」右
       126頁右上「お七と吉三の比翼塚*20」下
    1例めはマレーシアのペナン島、124頁5行めに小さく「(朝日新聞 昭和45年8月7日)。」。
    2例めは「韓国ソウルで、昭和四十四年(一九六九年)六月におこったできごと」。
    3例めは「愛媛県松山市勝山町」で「(昭和三十七年)」、以上の2例は出典を示さない。
    そして『八百屋お七』に比翼塚を「昭和四十一年(一九六六年)の春」に建てたことに触れて纏める。(以下続稿)

*1:ルビ「たましい」。

*2:ルビ「きく」。

*3:ルビ「れいこんしんこう」。

*4:ルビ「たましい」。

*5:ルビ「いえい」。

*6:ルビ「ひとだま」。

*7:振仮名「ひとだま」。

*8:ルビ「そうしき」。

*9:ルビ「せいぜんそう」。

*10:ルビ「なかごめ」。

*11:ルビ「すし」。

*12:ルビ「よこて・ひりよう」。

*13:「とうじの」とあるのは、その後、昭和47年(1972)4月1日に福岡市が政令指定都市となって福岡市博多区西春町となったことを踏まえているのであろう。

*14:ルビ「こいびと・いこつ・けつこん」。

*15:ルビ「やまだ こうさく・せいがつか/」。

*16:ルビ「/りようじ かん・きようしんしよう・しんだんしよ/」。

*17:ルビ「あいじん・だいとうりよう/く/よう・にんじよう」。

*18:ルビ「こい」。

*19:ルビ「やおや・しち」。

*20:ルビ「きちざ・ひよくづか」。