昨年の1月末、松山ひろし「現代奇談」のアーカイヴを見ていて「奇談メモ 2003年2月分」に、以下の条があることに気が付きました。
2003/2/18 赤マント
昭和の赤マントといえば、戦前の日本の子供たちの間に口裂け女のときのようなパニックを引き起こした大物現代妖怪だが、実はこの赤マントの騒動を巡っては一人逮捕者が出ている。逮捕されたのは社会主義者のある銀行員で、「赤マント」の噂を流して人心をかき乱したというのがその理由。つまり、赤マントの「赤」は共産主義の「赤」であったというわけだ。
もっとも、何のメディアも持たないたった一人の人間に、意図的に噂を広めることなどができるのかという点はかなりの疑問が残る。当時の時代状況を考えると、“赤マントの「赤」は共産主義の「赤」”というこじつけによって、無理やり一人の社会主義者に罪を着せたというのが真相なのではなかろうか。
松山氏は典拠を示していませんが、この説は小沢信男の短篇小説「わたしの赤マント」に由来します。何故そう断定出来るのかと云うと、この説自体が小沢氏の個人的な勘違いだからなのです。
この小説の構成については2013年10月27日付(06)に述べました。なお、本作を収録する小沢信男『東京百景』の書影は、当時表示出来なかったが今は示せるようになっているので、下に貼付して置きます。
- 作者: 小沢信男
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1989/06
- メディア: ハードカバー
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さて、私が当時の東京の新聞の大半を調べてみた結果、確かにこのような記事は検出されなかったのですが、この「ありもしない記事」は、恐らく2013年11月3日付(13)に引いた、時期を同じくする「讀賣新聞」の流言に関する記事で、その導入部に「赤マント」に言及してあったため*3、小沢氏の頭の中で両者が結び付いてしまったのだろうとの見当が付けられました。
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松山ひろし「現代奇談」のアーカイヴに戻って、「現代妖怪夜行 現代に生きる妖怪達」の「第七回 怪人赤マント」は、まず「赤い半纏」の「半纏」が「マント」に変わっただけの、女子高のトイレで婦人警官が刺殺される筋の話*4を紹介します。典拠は示していません。もちろん「斑点」の駄洒落がなくても成立する話ですから、半纏だろうがチャンチャンコだろうがマントだろうが何でも良いので、松山氏も「名前・別名」の欄に「赤マント、赤いちゃんちゃんこ、赤いはんてん、赤マント・青マント、赤い紙・青い紙」と同類を引っくるめています。
そして後半、戦前の赤マントについて述べた箇所を抜いて置きましょう。
昭和の初期、子供たちの間で「怪人赤マント」の噂が流れたことがあった。
怪人赤マントとはその名の通り赤いマントを羽織った謎の人物で、夕暮れ時になると電柱の影に隠れて出没し、そこを通りかかる子供をつかまえていずこかへ連れ去ってしまうのだという。
おそらくは子供が遅くまで遊び歩かないようにとの考えでどこかの親が創作した話なのであろうが、この噂はたちまち当時の子供たちの間に広がり、通報によって警官が出動するなどのちょっとしたパニック現象を引き起こした。
また、それとほぼ同時期に赤い紙と青い紙という噂も子供たちの間で広がる。
これはトイレに入ると「赤い紙と青い紙、どっちがいい?」と突然質問されるというもので、ここで「赤い紙」と答えると刃物で切り裂かれ出血により真っ赤になって死に、青い紙と答えると首を締められ真っ青になって死ぬのだという。
やがて時は流れ戦後になるとこの二つの話は融合し、ここで紹介したような「トイレの中の赤マント」が登場するようになるのだ。
さて、この話で興味深いのはなんといっても現代の学校の怪談との類似であろう。
初期の子供をさらう赤マントの噂には「オリンピック選手よりも速く走って追いかけてくる」、「黄色いものを身につけていると襲われない」といった尾ひれが後につくのだが、これらの要素はやはり同じように子供を襲う口裂け女(100メートルを3秒で走る、ポマードと唱えると撃退できる等といわれる)との強い類似性が見られる。
あるいは、赤マントの話こそが後の口裂け女の原型なのかもしれない。
また、「赤い紙、青い紙」の話もトイレが舞台として選ばれており、これもまたトイレに様々な「子供を襲う存在」を出没させている学校の怪談と一致している。
おそらく、いつの時代でも子供は同じようなものに恐怖し、そしてその噂話を好むということなのであろう。
ここの「オリンピックの選手よりも早く走」ると云うのも小沢信男「わたしの赤マント」に由来するらしく、2013年10月28日付(07)に引いた、主人公の牧野次郎への読者からの返答に見えています。但し「黄色いものを身につけていると襲われない」と云うのは、未だ見付けていません。
松山氏は「ほぼ同時期」に「赤い紙と青い紙という噂も子供たちの間で広がる」としていますが、同時期の例としては2014年1月12日付(82)に引いた、長野県の小学校の「赤いマントがほしいか、青いマントがほしいか」と「学校のお便所に入ろうとするとマントを着た男の人」に聞かれるという話があるくらいで、むしろ「トイレの中の赤マント」の方が先行しているのです。常光徹も2014年1月13日付(83)に見たように、早い時期の例として(多分)この話に触れて、同時期に「赤い紙と青い紙」があったことには気付いていないようです*5。松山氏はどこで見たのでしょうか。ルーツ調べのような記述をする場合、やはり典拠は一々示して置くべきだと思うのです。松山氏の著述が、また1つの典拠として機能して行く(可能性が生ずる)訳ですが、使用に際してこのような手間を掛けねばなりません。(以下続稿)
*1:今、アダルトと云うとあっちの意味が強くなってしまいましたが、この小説が発表されたのは昭和57年(1982)夏なのでそこまであっちの意味は強くなかったのでしょう。なんとかビデオと云う言い方はいつから始まったのか『日本国語大事典』第二版を見ても用例が挙がっていません。別の辞書を見れば良いのでしょうが、それはともかく――今になって見るとこの雑誌名、改題した方が良いのでは、と思います。……意識し過ぎか?
*2:この辺り、『東京百景』収録に当たって改稿されている(らしい)ため、ここに手短に紹介することが困難なので詳しくは述べません。なお、改稿の詳細については当ブログの検索窓で「・小沢信男「わたしの赤マント」校異(」で検索して下さい。
*3:ちなみに「讀賣新聞」は赤マントを記事として扱っておらず、この記事での言及のみです。
*4:「赤い半纏」は当ブログでも度々言及していますが差当り2014年1月4日付(74)を挙げて置きます。
*5:【2月24日追記】この点については別に検討すべきで、この書き方は乱暴過ぎるので見せ消ちにして置く。後日の課題とします。