昨日の続きで『豊島風土記』の巻末、「豊島区史年表(抄)」の異同を確認して置こう*1。
245頁(頁付なし)は扉。
246頁(頁付なし)は初刷では白紙であったが、四刷では下部に明朝体横組みで小さく、
――文献略称一覧――
風 稿……新編武蔵風土記稿 実 紀……徳川実紀
江図会……江戸名所図会 郡 史……北豊島郡史
府 備……御府内備考 郡総覧……北豊島郡総覧
とある。
247〜264頁13行めまでは一致。上記の「文献略称」は初刷でも使用されているから、この「一覧」がないのは不親切である。
初刷の「一九六八」年、昭和「四三」年条は、264頁9行め「三」月、10行め「四・二七」条、11行め「六・七」条、12行め「八・一」条、13行め「九」月条の5行であったが、四刷では14〜15行めに、
の1条が追加されている。
初刷では264頁14行め、「一九六九」年、昭和「四四」年条の1条めは何故か空白になっていて、15行めに「五・二三」条がある。四刷では「五・二三」条の上に「一九六九| 四四|」とある。どうもこの辺り、初刷に混乱があり、その後整理されたらしい。「六・一八」条が初刷では264頁16行めにあるが四刷では265頁1行めである。
さらに「一九七〇| 四五|」年条は初刷では5条(6行)で、最初(265頁4行め)は「五・二一」条であったが、四刷では「五・二一」条の前(265頁5行め)に、
がこの年の1条めとして挿入されている。先の昭和43年(1968)10月29日条の追加と同じ「学芸大学付属小学校跡地」に関する事項の追加である。
最後は「一九七一| 四六|」年条の5条(5行)め、
で、初刷は265頁14行め、四刷265頁16行めである。(以下続稿)