瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『北区の歴史』(5)

・北区教育委員会発行『北区の歴史』(2)
 昨日の続きで、昭和48年(1973)12月刊(初版)と、昭和50年2月刊(再版)の、前付の1頁め「はしがき」を比較して見る。
 まづ1行めに9字下げで「は  し  が  き」とあって1行分空けて、①には1段落め、

 今、住んでいる私達の街は、……そして往時は、……行きずりに見る郷土の史跡や碑の由来はなど、めまぐるしい時代/には生活している私達でも、ふと昔のことを回想してみたくなることがあるものです。そんな昔の北区を紹介しているの/が、社会教育課で毎月発行している「北区社会教育」の中の、川崎房五郎氏執筆連載の「北区の歴史」現在では「文書に/さぐる北区」です。これが読者の好評を博し、既に六十回を数えるまでになりました。

とある。「には」の辺りが変だ。それから「北区社会教育」は②にある通り「北区の社会教育」が正しい。川崎氏の名前はこの「はしがき」に見えるのみである。『文書にさぐる北区』の方は刊行されなかったようだ。
 ①の2段落めには次のようにある。

 今まで、これを一つの本にまとめて欲しいという希望が多くありましたので、毎月連載したものですから、多少重複し/たり、うまくつづかなかったりする所もありますが、この度、川崎氏の許しを得て(①号より28号までに若干補筆してい/ただき)「北区の歴史」として発刊いたすことになりました。


 「28」も丸数字。――ここまでのところ、②では次のようになっている。

 郷土を愛することは郷土を知ることからはじまるといっても過言ではないと思います。郷土の歴史を知ることは郷土を/知ることの一環ということもできるでしょう。
 この冊子は、社会教育課で毎月発行している『北区の社会教育』に連載された川崎房五郎氏執筆の「北区の歴史」の一/部を、読者の多くの希望によりまとめたものです。川崎氏はその旨を快諾されるとともに補筆までもしてくださいました。


 かなりすっきりしている。川崎氏については、①②とも次の段落に述べてある。①には、

 川崎氏は、東京都公文書館で、都における古文書資料の調査と研究に携わっておられ、特に出身地である北区にお住み/であることもあって、今日まで本稿への執筆と新修北区史の主任編集員として御厚意を得てまいりました。この度「北区/の歴史」発刊にあたって厚くお礼を申しあげます。

とあり、②はやはりこれを、次のように纏め直している。

 川崎氏は東京都公文書館に勤務されており、出身地である北区に在住されております。今日までも本稿の執筆、『新修/北区史』の主任編集員など多くの御厚意を得てまいりました。


 ①はここまでであるが、②には再刊の事情を述べた続きがある。

 昭和四十八年十二月、この冊子が発刊されて以来、希望者は後を断たず、残部も僅少となるに至りました。たび重なる/希望に応ずるため、これを増刷するにあたり、誤植訂正などを行なうとともに、比較的詳細な索引を付して読者の便宜を/はかりました。
 最後に川崎房五郎氏に改めて感謝の意を表します。


 最後に半行分空けて2字下げで①「昭和四十八年十二月」②「昭和五十年二月」、1行分空けて34字下げ明朝体でやや大きく「北 区 教 育 委 員 会   」とある。(以下続稿)