瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『ゼロの焦点』(2)

 私は性格的に長篇推理小説を読んでいられないので、普段松本氏の長篇小説を借りたりしないのだが、――先月、家人が久し振りに松本清張推理小説が読みたいと云って『波の塔』を借りて来て読み始めた。家人は長篇小説を読むのを苦にしない人で、夢中になると物凄い勢いで読む。もちろん細部まで読み込むような読み方ではない。私にはこれが出来ないので長篇小説を読もうと云う気になれない。

新装版 波の塔 (上) (文春文庫)

新装版 波の塔 (上) (文春文庫)

新装版 波の塔 (下) (文春文庫)

新装版 波の塔 (下) (文春文庫)

 ところが、時には300頁の本を1日で、もう少々長い小説でも2日か3日で読んでしまって、期限前にさっさと図書館に返却してしまうのに、なかなか進まないらしいのである。そして、なかなか殺人事件が起こらないと言って、苛立ち始めたのである。その上、佐久間良子(1939.2.24生)と鹿賀丈史(1950.10.12生)でテレビドラマ化されていることを知って、鹿賀氏の顔が思い浮かんでしまうようになり、いよいよ読み進められなくなってしまったのである。
 珍しく途中で投げ出しそうであったが、何とか最後まで読んで、2週間くらいかかって期待していた松本氏「らしさ」が全く得られなかったと、文句を言っている。――そんな折に、私は図書館で野村芳太郎監督『ゼロの焦点』のDVDを見かけたのである。これなら外れはないだろう。犬童一心監督『ゼロの焦点』もあったのだけれども、2015年6月8日付「大島弓子『グーグーだって猫である』(3)」に触れた映画版『グーグーだって猫である』が原作そっちのけの酷い出来だったので、そっちはやめて野村監督の方を、2時間ドラマの原点と云う興味から借りて来て、家人とともに見たのである。
野村芳太郎監督『ゼロの焦点 昭和36年(1961)3月19日公開
ゼロの焦点 [VHS]

ゼロの焦点 [VHS]

<あの頃映画> ゼロの焦点 [DVD]

<あの頃映画> ゼロの焦点 [DVD]

ゼロの焦点

ゼロの焦点

 何だか腑に落ちない気分にさせられたのである。――数年前に原作を読んだと云う家人は、失踪した夫・鵜原憲一(南原宏治)の後任で、主人公の禎子(久我美子)の現地での捜索に協力する本多(穂積隆信)が原作ではもっと重要な役だったとか、田沼久子は原作ではもっと軽かったのに、有馬稲子が配役されたからこんなに重くなったのだろうか、とか、犯人の見当が付いてから後が長過ぎるとか、具体的な相違点を挙げて文句を言い始めたのである。そこで私は、松本氏の興味は、犯人探しよりも動機の解明にあると云われているのだから、後が長いのは松本氏「らしい」と云うことになるんではないのか、などと言ってみたのだけれども、やはり私としても、どうもすっきりしないので原作を読んでみることにした。
 しかし、まだ読み終わらないうちにDVDを返却することになってしまったので、詳しい比較を直ちに上げることは出来ない。
 今は、映画の中に出て来た小道具について、紹介して置こう。
 禎子が立川警察署時代の夫の同僚に示す夕刊「北國新聞」は、1面トップが「鶴来宗太郎殺し‥‥/犯人〈田沼/久子〉は被害‥‥/昨夕〈白山下の/ガケ下で〉死‥‥」の見出しで、左に写真が3つ、キャプションはいづれも下にゴシック体横組みで、右「犯人の田沼久子」左上「鵜原宗太郎さん」左下「鵜原憲一さん」とある。鵜原宗太郎(西村晃)は憲一の兄、すなわち主人公の義兄。上欄外に「昭和35年(1960年)12月18日 (日曜日)  第24525号」とある。記事本文は小説を流用したらしく、そこまで作ってはいない。この警官は「しかし、おかしいですなぁ。つい二週間ばかり前にも、これと同じ新聞を持って、あなたと同じことを尋ねて来た人がありまして」と言っているから、禎子は昭和36年(1961)の年明け早々に立川署を訪ねたことになる*1。警官が見せた「同じことを訪ねて来た人」の名刺は、

   丸越工業株式会社
 
取締役社長 室 田 儀 作
 
       本 社 金沢市白銀町五番地
           電話(2)二二四九番
       工 場 七尾市南町一七番地
           電話七尾局一三五一番

と読める。文字の大きいところを強調(太字)で代用した。(以下続稿)
4月5日追記2016年7月16日付「小林信彦『回想の江戸川乱歩』(11)」に、小林氏の連載時の回想を引用するとともに、カッパ・ノベルス版の書影を示して置いた。

*1:その後、風呂に入っているうちこれはおかしいことに気付いたので削除する。この日付については、後日再見して記事にしようと思う。