瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岳部の思ひ出(7)

 しかし、高3でも文化祭の展示はやったのである。『山岳部25年史』と云う冊子までまとめた。
 クラスの舞台発表にも参加して、照明係としてタイミングを外して一瞬、幕が開く前に当ててしまった。入賞を逃した後で「あの照明が惜しかった」との声が出たが、目立っていなかったので「お前やろ」と責められずに済んだ。
 その後は、専ら理科系の部活に入り浸って、別に私は部員でも何でもないので何もしなかったが、ただ、いて、何となく遊んで、過ごすばかりだった。何故か卒業アルバムにも大きな顔をして写った。山岳部の集合写真にも写っているが、山岳部でない部活の方が大きく写っている。
 こうして山岳部は、私の代までと、2学年下の代で断絶があって、私は卒業後、兵庫県を離れたから、その後、どうなったのか全く知らない*1。しかし、顧問が自分のクラスの男子生徒を騙して入れて再興した山岳部はその後も存続して、交流はなくても今はネットで情報が拾えるから、インターハイ予選のロッククライミング部門で入賞した男子部員がいるとか、女子部員もいて春山スキーに出掛けているとか、そんなことも分かってしまう。昭和の頃の備品は、もう今風のものに切り替えたろうか。それよりも部室はあのままなのか。いや、まさか。少子化の昨今、空きスペースはもっとあるはずだから、どこかもっと条件の良い、窓のある部屋に移ったのだろう。
 私学なら専任教諭が新任から定年後の再雇用まで居続けるから、卒業生は何年経っても知った先生に会えるけれども、公立高は異動してしまうので私の知っている先生は誰もいないはずだ。大学院生時代に教育実習に行った母校の横浜市立の中学校も、10年でもう誰もいなかった。高校には私が入学した頃には創立以来勤続している人が何人かいたが、異動を促す通達が出たり、定年退職したりして、私の卒業後、じきにいなくなったそうだ。今はもう、そんなに長く居続けられないらしい。

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 さて、今話題になっている栃木県の高校山岳部合同の春山安全登山講習会だけれども、当時の兵庫県にはそのような催しがなかった。まづ、瀬戸内気候で雪の積もった山があまりない。もちろん兵庫県でも日本海側、或いは山田風太郎の育った辺りに行けばあるけれども、遠い。
 冬は休みも短いし、危険なので冬山には行かないことにしていた*2が、私達より上の代までは、春山として春休みに兵庫県最高峰の氷ノ山に登っていた。しかしこれは学校行事としてではなく、顧問が関わらないところでOBが毎年連れて行っていたようだ。しかし、私達の代は専用の装備を買ってまで雪山に行きたいと思わなかったのと、強く勧められることもなかったので結局行かなかった。
 誰もスキーに興味を示さなかった。それだのに、Wikipedia「スキーブーム」項に拠ると、昨日触れた映画『スキーに連れてって』のとばっちりで、この頃、修学旅行がスキーになった学校が多かったそうだ*3。私の高校もスキーだった。或いは、私らの世代がスキーブームを終焉させたとするなら、それは自発的に出掛けたのではなくて、修学旅行として強制的に雪しかない山に3日ばかり閉じ込められた体験に起因してるのかも知れない。――この修学旅行についてもいろいろあるので、また改めて書く*4
 最近、スポーツクライミングとやら人気のようだが、当時、そんなものはなかった。それに当時、兵庫県の高校山岳部ではロッククライミングが禁止されていた。
 上の代から伝わって来た噂では、――以前、インターハイの予選にロッククライミングが含まれていて、2人滑落して死んだことがあり、それからロッククライミングが禁止されたのだ、とのことだったが、いつの話なのか、それから本当にそんなことがあったのかも、実は分からない。
 だから私は雪山もロッククライミングもやらない、せいぜい鎖場くらいしか経験したことのない、とにかく歩くだけ歩く、そんな山岳部員になって、そうなってみると別に山になんぞ行かなくても良いような気がして、――高校時代のように学校の裏が山だったら、高校は当時の家から徒歩10分(但し私の足で)とそんなに離れていなかったから、まぁ私の家からも山はそんなに離れていなかったので、そのままあそこに住んでいたらまだ低山登りを続けていたかも知れない。急にむらむらと登りたくなって、つい2時間かそこらで一回り出来る。
 しかし、今は電車に乗らないと山の麓まで辿り着けない。だから私は今は山に登らない。とにかく面倒なのである。(以下続稿)

*1:山岳部とは全く断絶したが、理科系の部活の後輩たち(と云っていいのか、別に部の先輩でもないのに)とは、2014年3月24日付「楠勝平『おせん』(1)」にも少し触れたが、私の浪人時代、しばらく交流があった。

*2:平成13年(2001)11月12日付、文部科学省スポーツ・青少年局長通知「冬山登山の事故防止について」よりも前。

*3:しかしこの映画以前に修学旅行に行った家人もスキーだったので、そう単純な話ではないらしい。【5月5日追記】同じ原田知世主演の、昭和58年(1983)7月16日公開の大林宣彦監督映画『時をかける少女』については2015年11月13日付「筒井康隆『時をかける少女』(2)」以下にしばらく取り上げたが、冒頭が高校1〜2年の春休みのスキー合宿の場面である。――原作では主人公たちは中学生で、スキーなどしない。

*4:5月5日追記5月2日付「スキー修学旅行(1)5月5日付「スキー修学旅行(2)5月6日付「スキー修学旅行(3)」に述べた。