瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

学生社版『東京史跡ガイド』(1)

・東京史跡ガイド⑯『豊島区史跡散歩』
伊藤栄洪・仲田喜三郎・堀切康司(昭和52年10月5日初刷印刷・昭和52年10月10日初刷発行・¥780・208頁・小B6判並製本
伊藤栄洪・堀切康司(1994年1月10日初刷印刷・1994年1月20日初刷発行・定価1650円・139頁・B6判並製本
 ②のカバー*1や奥付には特に「新版」である旨を示していないが、奥付の裏の本シリーズの目録には「新版 東京〈区 / 別〉史跡ガイド〈シリ/ーズ〉」とあって、僅かに旧版の存在を窺わせるのである。
 ①のシリーズは私が東京に出て来た当時は良く見掛けたものだが、今は殆ど見掛けない。著者3名は1月7日付「『豊島図書館郷土シリーズ』(1)」の執筆者でもあった。伊藤榮洪は公益財団法人としま未来文化財団の「財団ニュース みらい」No.214(2012年4月号)からNo.261(2016年3月号)に「榮洪おもしろシリーズ」を連載していたが、No.260(2016年2月号)を敗血症のため休載し、平成28年(2016)10月17日死去。仲田喜三郎(1926〜1988)堀切康司(1928生)は国会図書館OPACにより生歿年が判明する。②に仲田氏の名がないのは死亡していたからであった。
 ②には共著者間の分担や執筆者の感慨のようなものは全く述べられていないが、①には193〜196頁「あとがき」があって、末尾196頁5〜12行め、

 おわりに、この稿は次のように分担執筆したことを記しておく。
  仲田喜三郎―八、九、一〇、一二章
  堀切康司―豊島区の昔、一、二、五、六章
  伊藤栄洪―三、四、七、一一章
 なお、貴重な写真を豊島新聞社から提供していただいたこと、学生社の土屋晃三氏の親身なお力添/えを感謝して付言したい。
                               執筆者を代表して
                                    伊 藤 栄 洪

とある。最後の伊藤氏の氏名はやや大きい。豊島新聞社は3月2日付「『豊島図書館郷土シリーズ』(4)」及び1月7日付「『豊島図書館郷土シリーズ』(1)」に触れたように、この3氏が執筆した『豊島風土記』及び『豊島の歳時記』にも写真を提供していた。
 3人の境遇や活動等については195頁4〜11行め、

 さて、この稿は仲田喜三郎、堀切康司と私の三人で分担して書いた。三人が区内遺跡を尋ねはじめ/てもう十年を越える。三人とも、東京で生れ、東京で育った。「江戸ッ子」としてとくにイキがらな/くてもふるさとはこの東京しかない。その東京が変容していくのをずっと見て育った。「江戸ッ子」の/意識などどうにもならない巨大な力が東京を変えている。ふるさとがなくなっていく。その思いは強/烈であった。それが三人の共通の心情といえばいえるかもしれない。そして、三人とも、中学校の教/師である。自分たちの教えている地域社会の理解がまた教育の一助となることを願って歩き出したの/である。夏休みに精力的に勉強してきた。
 この稿も夏休み(五一年夏)に書いたものだが、それから小さな変化がいろいろあった。「道の角は/魚屋で……」と書いたところの魚屋が店をしまって、スナックに変っていたりするところがある。

とある。
 さて、①は「あとがき」にあるように序章に当たる「豊島区の昔」と12章から成る(合計13章)が、②は8章である。次に対応関係を示して置こう。(以下続稿)

*1:但し私の見た本はいづれも折返しが切除されていた。