瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

スキー修学旅行(2)

 5月2日付(1)の続き。

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 それはともかく、私はスキーの修学旅行が嫌で仕方がなかった。
 山岳部員と云うこととは関係なしに常日頃から、中学の頃は地形図を見ながら自転車で走り回り、高校は自転車が使いづらい地域だったので(高校は自転車通学も不可だった)地形図を見ながら歩き回ると云う、今だったらテロ等準備罪で事情聴取されそうなことを道楽にしていたから、地形図を読もうにも雪で真っ白で、行動が完全に制約されてしまうスキー場には全く興味がなかった。4月4日付「山岳部の思ひ出(7)」に書いたように、希望すれば春山登山に連れて行かれたはずだから、少しはスキーのようなことをする機会もあったろうが、私たちの代は全く興味を示さなかった。私は、山に興味があると云うより地形図が好きだったのかも知れぬ。だから地形図を読んでいられない岩登りとか、冬山とか、スキーとかに全く興味が湧かなかったのかも知れない。
 それなら町や人里を寺社を巡りながら歩き回る方が好きである。しかし、2016年4月2日付「万城目学『鹿男あをによし』(2)」に書いたように遠足で勝手に個人行動するような人間なので、まぁスキー場と宿に閉じ込められるくらいの方が良かったのかも知れない。
 しかし、当時の私は生涯で一番、鼻と咽喉の調子が悪かったから、そんなところに行きたくはなかったのである。しかし、せいぜい微熱程度で寝込むほどでもない。そこで、たぶん暗くなってから駅前に集合してクラスごとに観光バスに乗ったと思うのだが、間に合うように出掛けて、同級生の中には私が来ないのではないか、と予想していたらしい奴がいて、「来たんか」みたいなことを聞くので、熱があれば休んだのだが微熱なので来た、と答えると「醤油差しの醤油を飲めば熱出るで」と教えてくれたのだが、観光バスの中に醤油差しを持ち込んでいる者はいないので、もう手遅れであった。そして、幸いにしてその後、そんなことを試したいと思うような波瀾もなしに過ごしている。いや、波瀾がなかった訳ではないのだが。
 バスの中のことで覚えているのはこの醤油の一件だけで、翌日のことは全く覚えていない。とにかくスキー初日、私は微熱を理由にゲレンデに出ずに宿で寝ていたのである。空気が良いのか、咳や痰に苦しむことはなかったように思う。そこで2日め、多少調子も良くなったので、ゲレンデに出ることにしたのである。
 初め、麓の、滑っている連中の邪魔にならない辺りで、初日に落ちこぼれた数人と一緒に歩いたり軽く滑ったりしていたのだが、そのうちに他の連中はリフトに乗って行ってしまい、最後には私1人が残された。一応、真面目にやっているのだが、全く上手く行かない。そもそもスキーの技術を習得したいと云う意欲がまるでないのである。――いつまで経っても埒の明かない私に痺れを切らした男性インストラクターは、とにかく滑ってみようと言って、私をリフトに乗せ、そしてリフトを降りるときの注意を与えながら宙を渡り、上に着いて少しの下りを滑り、その向うの上りでスキー板を横に向けるようにすればかかとで止まる、みたいな段取りだったはずなのだが、私はそのまま上り切って、その向うに屯しているグループに中に突っ込んで、そこで仰け反るように背中と尻を付けながら漸く止まったのだが、
「××君や〜ん」
と声が掛かったので見るに、よりにもよって同級生の女子の中に突っ込んだのであった。
 取り囲んだ女子たちのにやにやした顔に見下ろされる中からインストラクターに連れ出されて、しばらく余り人のいない斜面にてマンツーマンで歩いたり滑ったりしていたのだが、どうにも上手く行かない。
 と、自分でも予期せず、勢い良く滑り出したのである。立ったまま安定して、山岳部で鍛えた足腰の踏ん張りが利いたのか転びもせずに、真っ直ぐ、いよいよ加速して、――後ろ向きに。
 そのまま数十m滑って、私のいたのはリフトの近くで、支柱が邪魔だから人が少なかったのだが、リフトの支柱に一直線に向かって行く。
 そこで、最初にレクチャーを受けたときに聞いた「人にぶつかりそうになったら身体を横に倒して」と云う説明を思い出して、必死に右に傾くとそのまま右に倒れて、何とか支柱に激突せずに済んだのであった。
 それで、私もインストラクターももう結構、と云うことになって、私は早々に宿に引き上げ、3日め、最終日も宿で寝ていた。
 以来、1度もスキーをしない。だから、私は後ろ向きに滑った距離の方が長いと云う記録(?)を保持したまま人生を終えることになりそうだ。(以下続稿)