瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『砂の器』(2)

 3月21日付(1)に対する烏鵲氏のコメントに、映画に「渋谷区穏田」と云う住居表示導入前の地名が残っていることが指摘されていましたが、この映画は原作発表及び脚本執筆から撮影に入るまでに時間が掛かったため、このような細かいところでその後の変化に対応しきれずに犯した間違いがあるわけです。
 次の例は、既に気付いている人もいるかも知れませんし「穏田」と同様に考えて良いのかどうか、分かりませんが、やはり映画の時間設定である昭和46年(1971)とは齟齬する例として確認して置きたいと思います。 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 映画はまづ「秋田県 羽後亀田に着く」として、今西刑事(丹波哲郎)と吉村刑事(森田健作)の2人が秋田県を訪ねて何の手懸かりも得られないと云う場面から始まります。そこから遡って夜のほぼ真っ暗な蒲田操車場を写し「事件発生は 昭和46年6月24日 早朝/場所 東京国鉄蒲田操車場構内」とのテロップが読む速度に従って表示されます。
 以後は時間の経過通りに展開して行くのですが、被害者の三木謙一(緒形拳)が当初予定されていなかった東京行きを急遽決めたと思われる伊勢に、単身足取り捜査に出向いた今西は、三木が宿泊していた旅館の女中(春川ますみ)に、三木が何故か映画館「ひかり座」に2日続けて出掛けたと云うことを聞き、映画の出演者に三木の東京行きを決断させた人物(=犯人)がいたとの見当*1から、映画館の支配人(渥美清)に当日上映されていた2本立ての映画のタイトルを確認します。そして一旦「ひかり座」を出てから思い当たって、再度確認を求めます。

支配人:「えーっと6月の21日ですね」
今 西:「えぇ、ちょっと念のために」


 この会話から、初め今西は1日めの「6月20日」のみを口にして、上映タイトルを尋ねていたことが察せられます。すると、

支配人:「あぁ、土曜日だなぁ」
今 西:「あ」
支配人:「21日は写真変わってますわ」
今 西:「えぇ?」
支配人:「『北海の嵐』に『大江戸の鬼』ですなぁ」
 動揺する今西。
今 西:「じゃあ、20日と21日は違った映画やってんですか?」
支配人:「えぇ、違いますよ。うちは土曜変わりですから」

 そこで天を仰ぐように視線を上に向けたことで*2、例の写真に気付くのです。――*3それはともかく、6月21日が土曜日だったのは映画撮影の直前では昭和44年(1969)、その前は昭和33年(1958)です*4。この間の10年、6月21日が土曜日になっていません。昭和33年及び昭和44年の前年の6月21日は金曜日、翌年の6月21日は日曜日、と云うように、曜日は1年ごとに順を追ってずれていくのですから、この間にも土曜日の6月21日がありそうなものなのだけれども、その辺りを点検してみるに、昭和38年(1963)6月21日が金曜日で、昭和39年(1964)6月21日が日曜日です。すなわち、似たような考証は2012年4月7日付「平井呈一『真夜中の檻』(19)」にも試みたことがありますが、昭和39年は閏年なので6月21日は土曜日でなくなったのです。
 昭和46年(1971)6月21日は実際には月曜日、犯行のあった6月24日は木曜日ですが映画の中の曜日に従えば火曜日と云うことになります。
 どうしてこういうことになったのでしょうか。当初、昭和44年(1969)現在のつもりで書かれていたのだとすれば、やはり脚本の完成と制作時期とのズレに起因し、そして撮影に際して見逃され、手直しされずにしまったことになりそうですけれども*5。(以下続稿)

*1:今西は支配人に自分の捜査の目的を告げておらず、ここでもはっきりこうした見当を述べてはいないのですが、観客には十分そう察せられるような作りになっています。ちなみに原作では、東京に戻って映画会社の本社で実際に映画を上映して見せてもらうことになっていました。映画ではこの手間を上手く省いていると思います。【6月9日追記】映画のラストは昭和46年(1971)10月2日、「宿命」初演の直前に行われた警視庁合同捜査会議の場面で、今西はこの「見当」をはっきり述べています。

*2:もちろん、先の註に述べた「見当」が外れていたことに気付いたからです。

*3:7月24日追記】これはこの部分のみ見て全体を確認しなかったための誤りであった。――写真に気付いたのはこのときではなくこの少し後、警視庁合同捜査会議の場面に挿入される、帰京して映画を4本見るつもりでいた今西警部補とともに「事務室」を出たひかり座支配人(渥美清)が、交通手段について助言しようと「事務室」戸口の右側の壁に張ってある時刻表を確認する脇で、女性の事務員に「新生ちょうだい」と煙草を買っていた今西が、ふと目を向けた「事務室」戸口の上にあったこの集合写真に気付くのであった。

*4:その次は昭和50年(1975)で、映画公開後。

*5:或いは原作の犯行日を引き摺っているのかも知れませんが、今手許に原作がないので未確認。いずれ確認しようと思っています。