瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『吉野朔実劇場』(4)

 3日前からの続きで「吉野朔実劇場」の文庫版2冊について。
・角川文庫12353『お父さんは時代小説が大好き』
・角川文庫13350『お母さんは「赤毛のアン」が大好き』
 本体、6頁までは既述。
 角川文庫12353の章分け、2章めについては7月5日付(2)に少し触れたが、改めて全体について述べて置く。
 7頁(頁付なし)は「――「咳をしても一人」は/誰の句だったか?――」の扉で、8〜14頁に漫画。今なら検索してそれらしいサイトにあれば済んでしまうが、何冊も本を見、何人もの人に聞き*1、そして山村暮鳥山頭火石川啄木八木重吉などの名前が持ち出され、正解を聞いても確証がなかなか得られず、夜、家にいるともう調べようがないので翌日、本屋に行くことを心待ちにして、……今はなんと味気なくあっさりと片付いてしまうことか*2。――こういう手間が嫌いではないから、私は未だに外出時には電波で繋がるようなものを持たずに、幾つもの図書館を這いずり廻って遊んでいるのである。
 これはプロローグみたいなもので、15頁(頁付なし)1章め「草の匂いにつつまれて」の扉、16〜37頁に「Book.........6 」までの6節、39頁(頁付なし)「対談 吉野朔実×沢田康彦/誇り高い少年たちの王国/――エーリヒ・ケストナー著「飛ぶ教室」――」と扉、40〜46頁(上段9行め)に2段組(1段15行)。
 47頁(頁付なし)2章め「午後のお茶会」の扉、48〜74頁に「Book.........13 」までの7節、75頁(頁付なし)「対談 吉野朔実×穂村 弘/現実と夢の狭間に生きる人々/――オリバー・サックス著『妻と帽子をまちがえた男』――」の扉、76〜82頁(下段15行め)に2段組(1段15行)。
 83頁(頁付なし)3章め「ふんわり毛布にくるまって」の扉、84〜107頁に「Book.........19 」までの6節、109頁(頁付なし)「対談 吉野朔実×北上次郎|植物の声に耳を傾けたとき|――P・トムプキンズ/C・バード著『植物の神秘生活』――」の扉、110〜114頁(下段15行め)に2段組(1段15行)。
 115頁(頁付なし)「あとがき」の扉で、116〜118頁に1頁15行、1行33字、末尾、1行空けて118頁12行めに2字下げで「一九九六年一〇月」13行め下寄せ「吉野朔実  」。――これに拠ると、『本の雑誌』の吉田伸子に立食パーティ会場で「『本の雑誌』100号記念号」への執筆を依頼され「漫画でもいいなら書きますけど」と答えたことで1章めの2節め、21〜23頁「Book.........2 「羊たちの沈黙」日記」が載り、さらに連載と云うことになったのである。
 119頁(頁付なし)「解説」の扉で「あとがき」と同じ本のカットを挟んで下部に「目黒考二」とある。――これに拠ると、121頁13〜14行め「‥‥。「吉野朔実劇場」が/始まったのは一九九一年十月号からで、‥‥」とあって、これが「あとがき」に見えた「やったかんなの特大100号」である。この「解説」には年記がないけれどももちろん、文庫版刊行に際して添えられたもので「昨年」、「評判」であったと云う吉野氏の新作『瞳子』への言及がある。

瞳子 (ビッグコミックス)

瞳子 (ビッグコミックス)

 角川文庫12353は白紙を1頁挟んで、奥付の前の頁に、下部中央にゴシック体縦組みでごく小さく、

本書は平成八年十二月、本の雑誌社より刊行されました。

とある。角川文庫13350には、

本書は平成十二年一月、本の雑誌社より刊行されました。/出版物、店名、人物その他の情報については連載時のデー/タを基にしております。
初出誌 オースターたち 「ユリイカ」平成十一年一月号
    「本の雑誌」平成八年十一月号から十一年八月号

とある。
 奥付のレイアウトは同じ、標題・発行日・ISBNコード等を除く異同であるが、角川文庫12353「発行者――角川歴彦」が角川文庫13350「田口惠司」に、「電話」が角川文庫12353は「編集部/営業部」の2行だったのが角川文庫13350は「編集/営業」になっている。10桁の番号は同じ。角川文庫12353「印刷・製本――e―Bookマニュファクチュアリング」の1行は角川文庫13350が「印刷―暁印刷 製本―コオトブックライン」となっている。「落丁・乱丁本」の送り先は角川文庫12353は「小社営業部受注センター読者係に/お送り」だったのが角川文庫13350は「小社受注センター読者係にお送り/」となっている。
 奥付の裏は角川源義「角川文庫発刊に際して」で目録類はない。(以下続稿)

*1:本当に「口コミ」であったことがよく分かる。

*2:片付くことは片付いてしまうが、必ずしも正しく片付く訳ではないことは厄介なのだが。