瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

下駄履き東下り(1)

 このところ、少し余裕が出来たので、歩いている。1駅分、20分歩くと86円の節約になる。炎天下歩いて疲れないかと思われそうだが、疲れないのである。本当に用事がなかったら何時までも歩いていたい。用事がなければ、そして日が暮れなかったら、何時までも歩いていられそうである。――汗が冷えると気持ち悪いが、汗を掻きながら歩くのは気持ちが良い。だから冷房が苦手なのである。わざと日光の下を歩く。汗が乾くようで気持ち良い。あんなに日焼け止めを塗りたくって大丈夫なのか知らんと思っていたら、案の定、vitamin D 不足なそうな。私の幼少時には、夏休み明けに黒ん坊大会と云うのをやっていた。今はやらないだろうし、大会名称が使用禁止だろう。しかし、別に黒人のイメージなどしていなかったのである。カルピスのマークだって、あれが黒人だとは、私は思わなかった。小学校に入る頃の私は地方都市に住んでいて、昭和50年代のそんなところに黒人は(白人ももちろん)いなかったのである。エマニエル坊やは見たように思うが、昭和56年(1981)である。しかしカルピスのマークとは結び付かなかった。
 二十歳前後、下駄履きで歩き廻っていた。――左足の皮がふやけるのである。かゆくはない。ただふやけるのである。それで水虫になったかと思って、近所の皮膚科に行くと、水虫ではなく、靴の接着剤に負けたのだろうと言われ、塗り薬を出してもらい、風通しの良い履き物で歩くように言われた。以前から下駄を履きたいと思っていたので、履いて見て、余りに調子が良いのでやみつきになった。院生時代には御茶ノ水から日比谷まで、丸の内を下駄履きで歩いたこともある。お盆で誰もいなかったのだが。……ところで、左足だが、その後転居して、別の皮膚科に相談すると水虫だと云われ、塗り薬を出してもらった。しかし、右足は今でも柔らかくて健康そのものである。だからどうも、水虫ではなく、身体の歪みから左足の血行が右に比して滞っているせいか、と、皮膚科は何だか信用出来ぬように思って勝手に素人判断をして、今に至っている。
 汗掻きで*1冬は素足がすぐ冷えるので、当時も年中下駄履きだった訳ではないし、その後、冷房が普及して夏でも下駄ではきつくなってきた*2。今は立場上日常を下駄履きで過ごす訳にも行かなくなり、殆ど下駄を履かないが、それでもどうかすると下駄で出掛けたくなるのである。
 院生時代、私は下駄履きで旧東海道を踏破することを思い付いて、晩夏から初秋の早朝に青春18きっぷ東海道を(江戸時代風に云えば)上り、ある年は袋井から藤枝まで、ある年は藤枝から駿府(静岡駅)まで、ある年は静岡駅から岩淵(富士川駅)まで、ある年は富士川駅から三島まで、ある年は三島から箱根山を越して小田原まで、歩いた。この順に歩いた訳ではなく、1年に1度だったかも記憶していない。しかし、鼻緒擦れすることもなく、普通の人より余程早く、毎回30km以上を歩き通したのである。(以下続稿)

*1:最初に掛かった皮膚科で、薬を塗布してからラップで包むように言われたのだが、どうしてもこれが沁みているようには思われなかったのである。

*2:かつては、外を歩いて汗を掻いて、電車に乗って窓から入る風に当ればすぐに気持ちよく乾いたものだったが、今はすぐに冷え切ってしまい寒責めに遭っているような按配である。窓を開けられても開ける訳に行かぬ。現車輌になる以前の世田谷線は、私にとって最も快適な環境であった。あの雨の日の蒸し暑さも懐かしい。