瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『VLADIMIR SOFRONITSKY EDITION』(1)

 3月22日付「Alfred Schnittke “Adagio”(1)」にも述べたように、長らく再生機器を持っていなかったのと、兄に強制的にオーケストラのクラシックを聴かされたせいで、私は自ら音を再生して聴くと云う趣味を長らく有さなかったのだが、大学に入ってからまづ落語を聞くようになり、それからピアノ曲を聴くようになった。どうも、大袈裟なオーケストラは性に合わなかったらしい。で、今更ながら Frédéric Chopin の 24 Préludes(Op.28)が、当時大学の演習で読まされていた芭蕉俳諧*1に似ているような気がして面白いと思ったのが嵌り初めで、Chopin を一通り聞いてしまった頃に、Alexandre Scriabine(1871.旧12.25〜1915.旧4.14)の次のCDに逢着して、今でも飽きない。
・Vol.14(COCQ-83286)

 その後『ロシア・ピアニズム名盤選』に組み込まれて再発売されているが、私には『ウラジーミル・ソフロニツキー・エディション』が懐かしい。 私が特に気に入った曲は、続いて発売された次のCDに収録されている、Etude Op.8 No.4 である。
・Vol.15(COCQ-83490) 再発売盤の方は未見。
 さて、この『Vol.15』の解説冊子*2の5頁に、「2000年11月」付の、このシリーズを手掛けていた佐藤泰一(1938〜2009.12)による「ソフロニツキー、/20世紀最後のCDリリース」が載るが、まづこの「一年ぶりのCD」が「昨年出されたソフロニツキー・エディションVol.14の姉妹盤と言ってよ」いこと、そして「ソフロニツキーの生誕年が今世紀最初の年(1901年5月8日生まれ)であることを思うと、当盤のリリースはささやかながら、丁度百年にわたる彼に関する出来事の悼尾*3を飾るものと言えはしないだろうか?」との感慨が述べられ、続いて、

 しかしながら、ソフロニツキーが遺した録音の/CD化はまだまだすっかり終わったわけではない。/LP時代に聴けた録音でも、ショパン嬰ヘ短調の/のポロネーズ第5番やスクリャービンソナタ第/2,6番などの大曲のCD化は未だしであるし、何/よりも、宝庫というべき「スクリャービン博物館/における録音」はほとんど手付かずの状態にある。
 先日モスクワでニコノーヴィッチ教授にお目に/かかった際、「来年はソフロニツキー生誕百年記/念の年ですが、いろいろな行事が行われるのでし/ょうか?」と伺ったところ、「無論あらゆること/を考えている。博物館が所有する録音に陽の目を/あてることを含めて!」ということだった。ソフ/ロニツキーの真価にさらに深く迫ることのできる/演奏の数多くが出てくることを大いに期待したい/ところである。

とある。イーゴリ・ニコノーヴィチ(1935〜2012)は『ウラジーミル・ソフロニツキー・エディション』の監修者で、解説冊子に各盤共通の「ソフロニツキー:その芸術と生涯」(訳:佐藤千登勢)及び各盤ごとの解説を執筆している。
 これを読んで、私は続刊を大いに期待したのである。
 ところが、待てど暮らせど『ウラジーミル・ソフロニツキー・エディション』の続刊はなく、そのうち『ロシア・ピアニズム名盤選』で再発売されているのを見て、『Vol.15』で終わったことを知ったのであった。(以下続稿)

*1:7月26日追記】『猿蓑』の歌仙を読んでいた。

*2:頁付のない表紙まで数えると全12頁。

*3:正しくは「掉尾」。