瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

織田作之助「續夫婦善哉」(7)

 7月22日付「織田作之助『夫婦善哉』の文庫本(3)」に取り上げた新潮文庫10589『夫婦善哉 決定版』に新たに収録された「続夫婦善哉」の本文について。
 まづ、7月25日付(3)に予告した、先行する『夫婦善哉 完全版』及び岩波文庫31-185-2『夫婦善哉 正続 他十二篇』にて、問題ありと思って2014年7月19日付(5)に引用した箇所を見て置こう。
 84頁1行め〜85頁2行め、

‥‥、いよいよ家を借りるという/段取の最中、大阪の金八から意外な手紙が来た。
 金八と蝶子は北新地時代に同じ抱主のもとでひとつ釜の飯を食った仲、蝶子が御蔵/跡の公園裏に二階借りしていた時分、思いがけず出会って何年か振りの口を利き、一/緒に飯を食べたのが縁で、サロン「蝶柳」の店をひらく金を出してくれ、その頃金八/は鉱山師の妻で収って、びっくりするほどの羽振りだった。ところが、金八の文面に/よれば、金八の亭主の鉱山師は「阿呆の細工に」悪ブローカーに一杯くわされたとも/知らず、幽霊鉱山に持ち金全部つぎこみ、無一文になったどころか、借金さえ出来て、/「いまでは、は(わ)びし(い)二階がりしています」蝶子はまるで信じられなかっ/たが、封筒の裏書きには△△方……とやはり二階借りらしい住所があり、ほんまに女/の一生テわからんもんやなあとしんみり読んで行くと、「ヤトナになるか、しゃ味線/なりと教えて行こかと心(思)案してます。六つの貰い子も親もとへかえしました。/大阪は今日もまたお天気がは(わ)るいです」と、悲しい文句ばかり書いてあった。/しかし、あの時貸した金を返してくれとは一行も書いてなく、それだけに蝶子は一層/知らぬ顔はできなかった。利子をつけて返せと当然要求してもよい筈だのに、しかも/そうまで落ちぶれながらそのことに触れもしないとは、なんという出来たひとやろと、/これまで返さずにいたことがいっそ恥しく、たとえほかから借りてでも送金しなけれ/ばならぬと思った。*1


 原稿には振仮名はない。完全版は「抱主」にのみ、ルビ「〔かかえぬし〕」がある。これは2014年7月18日付(4)に引いた、完全版の奥付の前にあった凡例めいた箇条書きの2項めに則った追加である。
 岩波文庫との異同であるが、岩波文庫は2014年7月19日付(5)に述べたように「岩波文庫(緑帯)の表記について」に則って「一層」や「筈」を平仮名にしているが、新潮文庫は漢字のままである。
 さて、完全版が「ヤトナになるか」と読んでいた箇所を岩波文庫が「ヤトナになろか」と改めていることに注意して置いたが、新潮文庫は完全版を踏襲して「ヤトナになるか」としている。しかしここは2014年7月19日付(5)に述べたように原稿の文字も「ヤトナになろか」と読むべきだし、文脈や韻律の上からも「ヤトナになろか」とあるべき箇所で、折角岩波文庫が完全版の誤りを訂正したのを、これでは後退させてしまったと云う他はない。
 金八の手紙の処理についても完全版(及び岩波文庫)を踏襲している。しかしながら2014年7月20日付(6)に述べたように、これでは残念ながら作者の折角の用意を、十分活かしていないと私は考えている。(以下続稿)

*1:ルビ「かかえぬし・かま・あほ・もら・はず」。