瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

幸田文『おとうと』(1)

 女子高の講師をやっていた時分、毎年卒業式に出席していた。講師は入学式には出席しない。もちろん呼ばれもしないが、卒業式には事務からも声が掛かるのである。
 当日は講師も半分くらいは出席して、例えば進学が危ぶまれた生徒についてしみじみと語り合う。卒業式は他の学年の成績算出も済んでしまってから行われるので、いよいよ今年度もお終いか、と、しんみりするのである。式の前後、生徒たちは同級生や担任やらと時間を過ごすので、たまに講師室を訪ねて来る者がいてもごく少数だが、折角挨拶に来たのに誰もいないのは寂しいし、式に出席しなかった同僚に会いに来る生徒もいて、そのまま帰ろうとするのを呼び止めて一筆書かせたり、何となく薄暗くなるまで過ごすのであった。そして夕方、謝恩会みたいな会があるのだが、そっちは講師に声が掛からないので、生徒たちがその会場に移動して、講師室の並びの3年生の教室が静まり返った頃、――そろそろ帰りましょうか、と最後まで残っていた同僚たちと校舎を後にする。
 そこで、初めの頃は気付かなかったのだが、後の方になって気付いたのが、生徒の頭が小さく手足がすらっと長いことであった。授業中、生徒たちは座っている。たまに指名して黒板に漢文の書き下し文を書かせたりすることもあるが、他の生徒たちに「貴方たちも人がやってるのをぽかーッと見てないで自分でもやんなさい」と教室を巡回しているので、前で立っている生徒をまじまじと見たりはしない。女子高で異性がいない分、緊張感の薄い環境で、余りきりッと大人びた顔付きになることもないので、頭が小さくて表情が子供じみて、しかも余り姿勢も良くなく座っていると、そんなに背丈があるようには見えないのである。だから、みんな小柄のような印象を受けているので、卒業式で、登壇して担任に名前を呼ばれて、校長の前に進んで卒業証書を受け取り、礼をして壇を下り、そして教員が並んでいる前を歩いて自分の席に戻るのだが、そのとき初めて、遠目に壇上に立ってただ1人歩いている姿を見て、教室で小柄のように思えた着席姿との差に戸惑うのである。なんとも、妙な感じなのである。
 女子高に勤めた初期にはそのような戸惑いを覚えなかったように思うのに、末期には「何頭身?」と驚かされる生徒が増えたように思ったのは、私の気のせいなのか、それともこの間に、所謂“日本人体型”を急激に減らすような変化が日本人に起きたのか、一体どちらだろうか、と云うことが気になっている。
市川崑監督『おとうと』 昭和35年(1960)11月1日公開

おとうと [VHS]

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おとうと [DVD]

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【映画パンフ】第2回日本映画名作祭 1976年

【映画パンフ】第2回日本映画名作祭 1976年

 原作は読んでいない。予告篇(大映ニュースNO.773)に「しあわせ薄いおとうと」或いは「いつの世も/変らぬ」「若い魂の/孤独と惱みが」「人間の哀しさ/美しさが」との文字が出る。すなわち、幼くして生母に死別し、リウマチを患いいよいよ頑ななキリスト教信仰に生きる継母と上手く行っていない「しあわせ薄いおとうと」と云うのだが、理由はどうあれ、金を使うのが苦手な私は散財する不良が大の苦手なのである。不良仲間と、何軒もの書店で集団万引きを働くなど、碌でもない。この辺り2013年11月11日付「赤いマント(21)」に触れた管賀江留郎『戦前の少年犯罪』に取り上げられていた、学力ではなく親の財力で学歴を得ている私立中学生の実情を見るようである*1
 姉げんのモデルは作者の幸田文(1904.9.1〜1990.10.31)、弟・碧郎のモデルは幸田成豊(1907〜1926)。
 当初、岸惠子(1932.8.11生)は三つ編みの女学生として登場する。流石に10代には見えない。顔立ちが成人女性である。弟を演ずる川口浩(1936.8.22〜1987.11.17)は若く見えなくもない。
 映画の本編を見る限りでは、設定をつかみづらい。予告篇を見るに「姉と弟は/三つ違つていた」との文字が出る。
 姉は「署の者」だと云うストーカーに付きまとわれたり、土手下の鉄工所のオカマめいた若い男に「レター」をもらったり、なかなかモテている。このストーカーに初めて会う場面は土手の桜が満開で、このとき姉はまだ「麹町の学校」に通っていることになっている。すなわちここまでの場面は前年度、ここから後が次年度と云うことになる。前年度から弟は既に中学生である。そうすると、一番若く考えて弟は前年度に数えで十四歳、満13歳になる勘定*2の中学1年生で、姉は数えで十七歳、満16歳になる勘定で女学校の4年生、次年度は弟は数えで十五歳、満14歳になる勘定の中学2年生で、姉は数えで十八歳、満17歳になる勘定で女学校の5年生である。家庭の事情からして姉がさらにその上の専攻科に進むとは思えないから、登場人物の年齢はこれで確定出来よう。可能性としては弟が早生れで、学年が3つ違いではなく2つ違いと云うことも考えられるけれども、この映画ではそこは確定させられない。
 このストーカーは海老茶式部がぞろぞろ出て来る校門の外で待ち伏せしていたりもする。この場面では、顔が大写しにならないので岸氏と周囲の女学生たちとの年齢差はそれほど気にならない。と云うか、周囲の女学生たちも10代ではないように見える。なお、このストーカーは「シミズロクロー」と名乗っているが愛用しているステッキには「TE」とあって恐らく偽名である*3
 それはともかく、その後、姉に、継母の許に通っているキリスト教信者の田沼夫人(岸田今日子)から縁談があったり、弟の遊びがピンポンから玉突き、スカール・モーターボートから乗馬へとエスカレートして行くから、この間にかなりの時間の経過が見込まれるが、明確に描写されていない。
 そして、久しく変な咳をするようになった弟が悪友に売春宿に連れて行かれた頃*4に漸く病院に掛かって重度の肺結核と診断されて、入院前に姉と町歩きをする場面、「小澤寫眞館」の前で

弟:「記念に写真も撮っとこう」
姉:「なぁぜぇ?」
弟:「病み窶れてからじゃやだよ。病み呆けた十七歳の若さなんて云うんじゃ堪らないからね。‥‥」

との会話がある。当時のことだから「十七歳」は数えのはずで満16歳になる勘定、モデルと同年齢とすれば大正12年(1923)、服装からして初夏であろう。早生れでなければ中学4年生、早生れであれば中学5年生である。姉の方は数えで「二十歳」である。作者がモデルとすると大正11年(1922)春に5年制の女学校を数えで十九歳、満17歳で卒業している勘定で、それから既に1年以上が経過している。
 さて、弟が「よく夏を越したなぁ」と見舞いに来た学生服姿の友人に声を掛けられる転地先の湘南の分院の看護婦を演ずる穂高のり子(1931.5.7生)もすらっとしているが、喀血して戻された東京の病院*5で、咽頭結核と気付いている弟に詰問される看護婦はもっとすらりとしている。医院長の扁桃腺との説明を盾にはぐらかして個室の病室を出た江波杏子(1942.10.15生)が演ずる担当の看護婦が、廊下で「弟が島田に結って見せてくれ」と言うので髪を結い上げてめかし込んで来た姉に会う。そこで2人がアップになるのだが、撮影時に18歳にならない、つるつるの江波氏と、10歳違いの岸氏が並ぶと、やはり顔の皮膚の10歳差は歴然としていて、ちょっと残酷だなぁと思ってしまう。
 それはともかく映画を見る限りでは弟は「十七歳」の秋に死んだように見えるのだが、モデルは数えで「二十歳」の大正15年(1926)歿なので、この辺りの時間も実は「よく夏を越したなぁ」までに半年ではなく或いは1年以上、そして実は江波杏子が登場する場面までにまた2年か3年経過したことになっているのかも知れない。或いは、その経過分をはしょって「十七歳」で死んだことにしているのかも知れない。
 さて、病院で最後の晩、病床の脇に床を取って寝る姉に、弟は、この頃夜中に目が覚めるので、看護婦たちも呼んで茶話会をやりたいと提案する。そこで桃色のリボンで姉弟は手を縛って寝るのだが、横になって話す姉の額に4本半の筋の皺が出る。弟が「十七歳」とすると姉は「二十歳」で、満年齢だとまだ10代と云うことになるが、10代女性にこんな皺は出ないと思うのである。そうするとやはり入院してから半年で死んだのではなく3年経過して、姉は「二十三歳」満22歳になっていたと考えた方が、まだ納得出来そうである。
 いや、顔の艶の話をしようとして女子高の印象を前置きにしたのではない。そうではなくて、江波氏の頭が小さくて、細いのに胸がある体型を見て、あぁ、50年経って日本人の体型も随分変化してきたなぁと、何だかしみじみと感じたのである。別にしんみりする必要もないのだけれども、私も小顔で指が綺麗で足が長いと云われたもので、大学生の頃には通勤時間に電車に乗ると、周囲の背広姿の男性たちが皆、自分より背が低いのを見下ろすような按配であったが、20年以上を経て今はもう埋没している。私より背の高い女性も珍しくない。ただ、若い男で私より背が高くても胴長で股の位置が低いのを見て、何となく昔の栄光(?)を思って見るのである。尤も、その全盛期にあっても、とにかく人物に癖がある上にイケメンとは言い難いので、ストーカーされることも「レター」をもらうことも、ついぞなかったのだけれども。(以下続稿)

*1:もちろん学力があって公立に進学した生徒にしても、親の財力が前提なのではあるが。

*2:この年齢の勘定について、年度末、小学校卒業前の小学6年生(満12歳)が数えで「十四」歳であることは、例えば2013年12月10日付「赤いマント(50)」に引いた新聞記事を参照のこと。この「十四」歳が次年度の12月末までに満13歳になるのである。

*3:この辺りの姉弟をめぐる若い男性たちを見ても、昔の若者が今よりも御立派だったとは云えないようだ。要するに、状況の然らしむるところなのである。

*4:具体的な女郎買いの描写はない。

*5:この辺りは少々分かりづらい。この後、初めに弟を診察した、何故か金髪の医院長(浜村純)が登場するので東京に戻されていることが分かる。初診の場面に登場する看護婦はまた別人である。