瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子「ひいなの埋葬」(4)

 8月23日付(3)の続き。
山岸凉子スペシャルセレクションIX『鬼子母神』(4)
 さて、321頁1コマめ、走行中の新幹線が描かれていますので、弥生は新幹線で東京*1を発っているのですが、2コマめは蒸気機関車で、新幹線からどう乗り継いだのか、詳細は示されません。とにかく梨本家の最寄り駅までは蒸気機関車を利用しています。
 梨本家の所在地は全く示されていません。この最寄り駅からして2月28日に、322頁6コマめ「すごいふぶきになっちゃ」うような2コマめ「山の中」なのですが、ここでヒントになるかも知れないと思ったのは321頁2コマめの蒸気機関車のプレート「[C6121]」です*2
 この蒸気機関車[C6121]「デゴイチよく走る! 」の「機関車データベース > C61 > C6121」に拠ると、昭和24年(1949)に青森区に配置され、昭和25年(1950)から昭和40年(1965)12月まで仙台区、昭和42年(1967)11月の廃車までは平区の配置でした。そうすると、作中の時代は昭和42年(1967)が下限と云うことにもなります。
 しかしそれでは、東京からまづ新幹線を利用していることと矛盾します。東北新幹線盛岡駅まで開業したのは昭和57年(1982)6月23日です。それ以前に開業していた新幹線は昭和39年(1964)10月1日開業の東海道新幹線、昭和47年(1972)3月15日開業の山陽新幹線のみです*3
 そうすると蒸気機関車[C6121]は何かの資料に載っていた写真を利用しただけなのでしょう。
 してみると蒸気機関車の営業用運行が昭和50年(1975)に全廃されていることにも余り拘る必要がないような気がして来ます。とにかく当時、新幹線では東京から西に向かうしかありませんから、中部地方か中国地方か、近畿地方でも良いのですが、とにかくどこか山深い場所を設定している訳です。岐阜県か、滋賀県の湖北か、或いは京都府辺りの何処か、と、何となく考えて置けば良いのでしょう。
 梨本家は326頁3コマめ、最寄り駅から「ますます山の中」を、2コマめ「30分」以上、自動車で走った先にある328頁2コマめ「すごい本格的純日本式」の豪邸です。
 梨本家が公家華族でありながら京都や東京ではなく、尋常ならざる山の中に、恐らく明治以来、住まっていることについては理由があるのですが、これについては追って述べることになりましょう。(以下続稿)

*1:弥生が東京在住であることは8月20日付(1)の最後に確認しました。

*2:この蒸気機関車の写真は「モノクロームの残影談話室  主催Our Favorite Hudson Bros.」に「s42.9.30 平駅(常磐線最終蒸機普通列車) 田駄雄作様」として掲載されています。

*3:上越新幹線の開業も昭和57年(1982)11月15日でこれも考慮に入れる必要がありません。