瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

山岸凉子「ひいなの埋葬」(8)

 一昨日からの続きで、380頁1コマめの系図の、最後の世代について。
山岸凉子スペシャルセレクションIX『鬼子母神』(8)
 第「Ⅳ」世代は、まづ「III−3」の子供が■■と血友病の息子2人となっていますが、実際には長男 Waldemar(1889.3.20〜1945.5.2)と、三男 Heinrich(1900.1.9〜1904.2.26)が血友病で、次男 Sigismund(1896.11.27〜1978.11.14)は血友病ではありませんでしたが省かれています。第二次世界大戦でのドイツ敗戦の直前に死亡したヴァルデマールは56歳で、戦争がなければもっと長生きしていたことでしょう。
 「III−8」ニコライ2世の子供5人は○○○○■と示され、末の2人の右上に「6」と「7」が記入され、人名枠の最後に「IV−6 アナスターシャ皇女/IV−7 アレクセイ皇太子」と説明されています。ニコライ2世の娘たちは保因者であった可能性がありますが、未婚のまま殺害され次代への遺伝が確認出来ないため○になっていますが、その後発見されたロシア皇帝一家の遺骨のDNA鑑定から、娘の1人が保因者であったことが判明したそうです*1
 次に、Victoria女王の子供でただ一人血友病患者だった「Ⅱ−6」の孫で「Ⅲ−10」の息子1人が■で示されます。前回述べたように、実際には姉1人と男子2人の3人姉弟だったのですが、ここは長男の Rupert Cambridge(1907.8.24〜1928.4.15)でしょう。
 そして「Ⅲ−14」の子供は■□■□となっていますが、5男2女のうち長男 Alfonso(1907.5.10〜1938.9.6)と末子の Gonzalo(1914.10.14〜1934.8.13)が血友病患者で、ともに自動車事故による内出血のために死亡しています。三男は死産で、次男 Jaime(1908.6.23〜1975.3.20)と四男 Juan(1913.6.20〜1993.4.1)は血友病ではなく、四男の長男がフランコ政権後にスペイン国王に即位した Juan Carlos I(1938.1.5生)です。すなわち、■□□■とするべきでしょう。
 ロシア革命で虐殺されたロシア皇室を除き、イギリス王家もスペイン王家も血友病でない男系の子孫によって存続しています。血友病が発症しても、それですぐに死亡した訳でもなく、Victoria女王の子供のうちで唯一血友病患者であった「Ⅱ−6」の子孫は、保因者であった娘、そして血友病でなかった息子の子孫も、ともに存続しています。もちろん、子孫が続かなかった血友病患者が殆どなのですが、Victoria女王から数えて第「IV」世代までで血友病患者・保因者はいなくなったもののようです。
 そうすると9月3日付(6)に引いたシズオの説明の最後に「女系家族といえばきこえはいい……たんに男が育たないだけなのに」とあるのは、血友病だけが原因ではなくて何か別の要因があったと見るべきでしょうか。
 それはともかく、次に梨本家が血友病の血筋となった理由についての、シズオの説明を見てみましょう。(以下続稿)

*1:Wikipediaの「マリア・ニコラエヴナ (ニコライ2世皇女)」項の「血友病」条。