瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

朝日新聞名古屋本社社会部『映画風土記』(5)

 9月13日付(4)の続き。
 上製本『映画風土記』にのみ収録される「記者座談会」の6回めを、202頁から204頁まで、としたのだが、――確かに座談会形式になっているのは204頁までなのだけれども、続く205頁には作家・映画通・映画監督・女優の計4人のコメントが収録されていて、これらは、前回引いた6回めの座談会形式時期の冒頭の発言(?)に「最後の座談会では、映画関係者や読者の声も集めました」とあるからには、この連載の最終回(四十九回)に附載されていたようである。
 上製本6〜9頁(頁付なし)「目  次」、9頁(頁付なし)中扉「映画風土記」上部中央に明朝体で本文と同じ大きさ。以下10頁から、映画紹介記事も座談会も各4頁で、計49回だからちょうど205頁までである。
 その205頁は少々形式が乱れており、1人めは上段1行めに1字下げで「作家・大内美予子さん」2〜7行めまでコメント、1行分空けて2人めは8行めに1字下げで「ゴヤシネアスト代表・倉本徹さん」1字分空けてコメントが始まり12行めまで。1行分空けて13行めに1字下げで「野村芳太郎監督」1字分空けてコメントが始まり下段4行めまで。余裕はあるのに1行空けずに、1字下げもなしで5行め「女優・高峰秀子さん」1字分空けてコメントが始まり13行めまで。
 ここでは大内氏と野村氏のコメントを見て置こう。まづ大内氏は、

このシリーズでは映画の主人公たちを、われわれ/の身近な場所で発見することができて愉しく読ん/だ。これからはビデオの普及などで「いつでも見/られる映画」の時代がくるにちがいない。そうい/う意味でも、この「映画風土記」のように、古い/作品を新しい角度からとらえ直す映画記事が求め/られるようになると思う。

とコメントしている。本書の記者たちは、「記者座談会」でも言及していたように、取り上げる映画を見直すのに苦労していたが、大内氏の見通しの通り、文庫版の段階で「ビデオの普及で「いつでも見られる映画」の時代」となっていた。後述するように文庫版には、その当時発売されていたビデオやLDについての注記が追加されている。但し当時はまだかなり高価だったはずである。私の家は、ビデオデッキがあるばかりで映画のビデオを買ったり借りたりする習慣(?)がなかったので、実感がないのだけれども。
 それはともかく、連載の段階では上映の機会を捉えて観に行くくらいしかなかったので、次に代表がコメントしているナゴヤシネアストは、名古屋市千種区今池にあるミニシアター・名古屋シネマテークの前身の自主上映団体なので、単なる「映画通」と云う以上に世話になっていたのかも知れない。名古屋シネマテークを開館させたのは連載終了の翌年の昭和57年(1982)6月26日で、上製本刊行時には既に名古屋シネマテークになっており、代表は倉本氏がそのまま務めているのだが、肩書きは9月12日付(3)に「新聞掲載当時のもの」と断ってあった通り「ナゴヤシネアスト代表」となっている。
 野村監督のコメントは、名前の下から始まっていて、

 風土の映像化はなかなかむ/ずかしい。風土の特性をよく理解して取り組まな/いと、映画そのものを殺しかねない。『砂の器』【上】や『ゼロの焦点』などは、風土性を取り入れるの/に成功した例だと思っている。
 私のような映画畑の人間からみると映画と風土/をとらえたこの連載は、新鮮な感じをうけた。

と、松本清張原作の映画化作品に自信を示している。(以下続稿)