瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

飲酒と喫煙(1)

 私は酒も飲まないし煙草も吸わない。
 どちらにも、幼少期から良い思い出がない。
 まづ煙草だが、両親ともに吸わなかった。だから子供の頃は、煙草に接することが極めて少なかった。家族に喫煙者がいないと、大人と一緒にいる機会は学校や通っていた書道教室くらいで、仮に喫煙者がいたとしてもそういうところでは子供と一緒のときには吸わないから、私は屋内ではほぼ無煙で過ごしていた。
 父の兄がヘビースモーカーで、たまに父の実家に行くと、白煙で天井が霞んだ居間で、しばらくの間にせよ過ごさざるを得なくなるのが、本当に嫌で嫌で仕方がなかった。けれども伯父は全く客に遠慮しない。この伯父は始終瞬きしていて、顔面神経痛だったらしいのだが私は煙いから瞬きするのだろうと思っていて、――じゃあ吸わなければ良いのに、と伯父の瞬きを見る度毎に思ったものだった。しかし母方の伯父も(喫煙したのかどうか、したとしても子供の前では)吸わなかったから、本当にそこだけ我慢すれば済んだのであった。
 子供の頃に嫌だと思った理由のもう1つには、吸い殻がある。なんであんなに吸い散らかして涼しい顔をしていられるのであろうか。当時通っていた水泳教室のバスを待つ間、私はバス停に散乱している吸い殻を拾い集めて、つくづく嫌だと思ったのだった。喫煙している大人の前で、これ見よがしに拾ったりしたものだった。
 小学生のうちにこういう気分にさせられていたから、中学に進んで便所で喫煙する同級生が現れても、それに同調しようと云う気持ちにはならなかった。しかし当時の荒れた中学校と云うのは酷いもので、たまに便所に靄が掛かったようになっていたものである。
 高校は父の転勤に伴って中学とは別の地方であったが、こちらは不良が徒党を成していた中学とは違って個人主義で、集団で突っ張るような連中がいなかった。男女関係など色々なことをドライに割り切って、白けているので初心な私は当初かなり戸惑ったが、慣れてしまうと私は人一倍他人に掣肘されるのを嫌う個人主義者だからむしろ居心地が良かったかも知れない。もちろん男女関係云々には全く関わらなかったのだけれども。――2016年4月2日付「万城目学『鹿男あをによし』(2)に書いたように煙草を吸っている野郎もいたのだが、校内での喫煙が問題になるようなこともなかったと思う。
 だから、私が喫煙者と日常親しく接することになったのは、大学に入ってからだった。
 現役合格なら満18歳、浪人でも20歳にはならぬはずだのに、サークルの同期で喫煙している者が2人いた。上級生や後から入って来た者を足すと、5人くらいが常に喫煙していた。
 恐ろしいもので、あんなに嫌っていたのに、この壁が黄ばんでいたサークルボックスで過ごすうちに、慣れてしまった。私が肺の疾患で死ぬことがあれば、当時の受動喫煙が原因だろう。もちろん自ら喫煙しようと云う気持ちには全くならず、未だに一度も喫煙したことがない。(以下続稿)