瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

飲酒と喫煙(3)

 先日、久し振りに殆ど初対面の人たちとの宴会に出席した。
 私は酒を飲まないけれども、飲み会には顔を出すようにしている。と云うか、大学入学後はコンパの連続で、断りづらいから顔を出しているうちに、そのまま、酒を飲まないから急に飲みに行こうなんてことにはならないが(そういう場合は食事と云うことになる)予定されている飲み会にはほぼ顔を出すことにしていた。だからそういう席を特に苦手にしているつもりでなかったのだが、院生時代毎月出席していた研究会(輪講)の後の飲み会に博士論文を提出してしばらく経った頃に行くのを止めて*1以来、そういう席も年数回、多くても5回くらいしかなくなって、最近は個室で参会者に喫煙者が全くいないと云うことが殆どなので、久し振りに3時間半、昔ながらの煙たい座敷に居続けてすっかり参ってしまった。
 初対面ではあったけれども、色々な活動をしている人たちの話を聞くのは実に興味深かった。……のだけれども、とにかく煙草に対する耐性が落ちている。すっかり喉がおかしくなってしまった。――研究会の後の飲み会でも、喫煙する人が次第に減って、私が参加していた末期には、飲み会の後半になって我慢していた某女子大の名誉教授が何故か私たち下っ端のいる方に来て喫煙する*2のが、ちょっと時間も遅くなって疲労を覚え始めているところに苦痛だったことを覚えている。
 1次会にしてこんな按配だから、2次会には行った記憶がない。喫茶店になら入ったことがあるけれども、大抵断って帰っている。この上もう1軒行く気力・体力があるのか、飲み直そうとはどういうことなのか、想像も出来ないのである。酒飲みの方も飲まない人には遠慮があるらしく、こちらは別に何とも思っていないのに、たまに「飲まないのに済みませんねぇ」と謝って来る人がいる。だから、1次会が終わった時点で抜けることにしている。
 それからやはり、遅く帰ると寝るのも遅くなる。十数年前、風呂無しアパートに住んでいた頃、飲み会で皮脂がすっかり脂臭くなって、そのまま寝たくないので帰ってから自転車で銭湯に行っていたのだけれども、午前様になって近場の銭湯が終わってしまって仕方なしに1駅半離れた深夜営業の銭湯に出掛けたとき、2011年11月12日付「福田洋著・石川保昌編『図説|現代殺人事件史』(1)」に述べたように高校生(?)男子の集団に追い掛けられたのである。この銭湯もその後廃業してしまった。今は風呂のある家に住んでいるけれども。
 しかし、職場の打ち上げの場合、今は私よりも年下の女性が多くて、昔ながらの座敷で宴会みたいな按配にはならない。女子高を馘首された面々とも年に1度か2度、集まって飲み会と云うことになっているが、個室で、喫煙者もいないので、時間的に疲れるけれども煙の辛さはない。煙が濛々と立ち込める座敷で、終わる頃には目に沁みて涙が止まらなくなるなんて経験を久しくしていなかった。
 いや、あれは去年だったろうか、身内が行って見たいと云うので、同じような座敷の飲み屋で、煙でやられたことを思い出した。滅多にないことだし覚えていたくもないのですっかり忘れていた。――しかし、煙の立ち込めない座敷と云うのも想像しづらい。もう、私はこう云う席には耐えられそうにない。それこそ、全面禁煙が徹底されない限り、座敷の宴会には参加しない方が良さそうだ。尤も、ほぼ退隠していてそんな晴れがましい(?)席に呼ばれることが滅多にないのだけれども。
 ところで、私は「飲めない」と言って酒を飲まなかったのだけれども、本当に飲めないのだかどうだか、実は分からないのである。(以下続稿)

*1:飲み会に行くのを止めたのではなく研究会に行くのを止めたのである。

*2:同年輩の人たちの間では(禁煙している人がいるなど、何か)吸いにくい理由があったのかも知れない。