瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水島新司『ドカベン』(59)

・東郷学園の野球部員
 好い加減、このことで突っ込みを入れるのは食傷気味なのだけれども、他の人は恐らくやらない(やった人がいるかも知れないけれども)と思う瑣事なので、敢えて取り上げて置こう。――実は先月、もう1度映画を見直そうと思っていたのだが、運悪く借りることが出来なかった。もう文庫版の返却期限も迫っているので、しばらく『ドカベン』から離れて、冷却期間(?)を置くことになりそうだ。
 さて、山田をライバル視して、野球に復帰させるきっかけを作った(野球を止めるきっかけにもなっていた)東郷学園中学の小林真司が主将として率いている野球部の部員について、鷹丘中との試合の3日か4日前の特訓に参加していたレギュラーで1番を打っているはずの部員「福本」(文庫版⑤234〜236頁)が、試合に登場していないことを10月17日付(27)に指摘したのだが、その後、さらに別の部員たちの存在を見落としていたことに気付いた。
 すなわち、野球部に殿馬や生徒会長の大河内が入部した(文庫版⑤71〜79頁)直後に、次のコマがある(文庫版⑤80頁1コマめ)。

この頃すでに同じ大東市の東郷学園野球部では復帰した小林を先頭に始動していたのである
「ガッツ」ファイト
「ガッツ」ファイト


「ガッツ」の掛け声は先頭を走る小林であろうか。それに応じて後ろから「ファイト」と声が掛かっている。
 その、小林の後ろに5人続いているのだが、ユニフォームに書かれた苗字は「吉原」「河野」「山口」「■川」「田■」である。10月17日付(27)に挙げた部員名と引き比べて見るに「吉原」「河野」「山口」はその後、登場していない。「■川」は前を走る小林の股間に隠れて上の文字が見えないが「石川」だか「吉川」だか、とにかくそのような苗字の選手も登場しない。「田■」は本人の左手に隠れて、実は「田」字も下が半ば以上見えないのだが、バランスからして「黒」や「用」ではないと思われる。この「田」で始まる苗字は、試合前の「やりすぎの特訓」の場面に「田丸」という部員が登場していた。しかし「田丸」がどちらかと云うと縦に長い顔で眼鏡を掛けていないのに対し、この「田■」はどちらかと云うと横に幅のある顔で、眼鏡を掛けている。すなわち、ここに登場する選手は、誰1人としてその後の練習・試合に姿を見せていないのである。
 ちなみに「大東市」と云うのは、当初の舞台として設定されていた市の名前である。
 大阪府に昭和31年(1956)4月1日市制施行の大東市があるが、この「大東市」は実在の大東市を意識していないらしく、特に関西らしく描かれていない。最初から岩鬼の関西弁が不自然に浮いていると云う設定である。
 当ブログでは映画との比較で記事を書き始めたので、主として人物について着目し、地名を拾いながら読む余裕を持てなかった。――印象としては中学時代は、関東のどこか、として描かれているようである。神奈川県と云うことになるのは明訓高校進学後、甲子園球場(文庫版⑦216頁)山下公園と横浜港(文庫版⑦217頁)を大きく描いて、次のようなゴシック体のナレーションを添える。

今 静かに全国高校球児のかえってくる日を待っている大甲子園球場……【216】
そしてその予選の激戦地NO・1といえばもちろん170校が競う東京である*1
しかし もっとも強豪校ぞろいの地区となると それはなんといっても神奈川県であろう
東海大相模高校(52回大会優勝) 桐蔭学園(53回大会優勝) 横浜高校(45回選抜大会優勝)と神奈川県代表はいつの大会にも甲子園球場に旋風を巻き起こしている【217】


 そしてその次に、例の名言が来る。描かれているのは外人墓地とマリンタワー(文庫版⑦218頁右半分1コマめ)明訓高校校門(左半分2コマめ)。

神奈川を制するものは全国を制す!!/
その強者の神奈川県の中に山田太郎の明訓高校がある【218


 この名言のインパクトで、それまでの関東のどこか架空の都市だったらしい設定は雲散霧消して初めから神奈川県横浜市の話だったかのようになってしまったのだが、地名について細かくは、また文庫版(出来れば単行本)を頭から読み直す機会に、確認したいと思う。(以下続稿)

*1:夏の甲子園の東京都予選が東東京大会・西東京大会に分かれたのは昭和49年(1974)からである。