瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

松本清張『鬼畜』(12)

 12月23日付「松本清張『黒い手帖』(3)」に目録を示した中公文庫『黒い手帖』には、「鬼畜」のもとになった話をメモした「創作ノート ㈠」が収録されている。以下、初版の改行位置を「/」改版のそれを「|」で示す。各項2行め以下は1字下げだが詰めた。初版80頁8行め〜81頁10行め、改版83頁3行め〜84頁4行め(【12月26日追記12月26日付「松本清張『黒い手帖』(5)」に指摘したように、この「創作ノート」は『松本清張全集34』に収録されている。「鬼畜」に関連する箇所(417頁下段16行め〜418頁上段)について、改行位置を「\」で示した*1。)、

 ×月×日
 おそろしき父。
①骨董商。妾をもつ。三人の子。商売不振で仕送りが\できない。
②妾、三人の子をつれてくる。本妻のヒス。三人の子\を板の間に寝かせて夫婦はカヤの中に|ねる。/女はに【全集417】げる。
③赤ん坊にヒマシ油をのませ、衰弱させ、手を当てて\窒息死させる。栄養不良死と医者は診|断す/る。*2
④次女は東京に捨てる。二人片づく。妻はあとひとり\を早く片づけろとせめる。
⑤長男は五つ。捨てても住所と名前を言う。米粒ほど\の青酸カリを饅頭のアンにまぜてのま|せる。【初版80】一時は\なはだしく弱るがなおる。二度目は上野公園で、も\なかを買い、有栖川宮銅像下で一つ/を食べさせ、一\つに青酸カリを入れる。子は吐き出す。押しこもう\とするが、|通行人が見てい/るのでやめる。黄昏のう\ら寂しい風景と気持。*3
⑥妻せめる。江ノ島で、ボートを出し、顚覆を計る。\自分は泳げないので、自信がない。そ|れで/も揺らぐ。\かなしい努力。子供は泣く。付近に漁船。あきらめ\て帰る。妻怒る。
⑦海岸から突き落す。崖下にエビ舟があるので決心が\つかない。夜にはいるのを待つ。子供、【改版83】眠/る。ほう\る。その夜、松崎の宿にいるところを捕まる。終列\車に遅れたばかりに。子供|は松の/木にひっかかって\救われる。
⑧この父は在獄中に発狂死。母は、なお、在監中という。
*検事河井信太郎氏より聞いた話。『鬼畜』として『別\冊文芸春秋』に発表。


 河井信太郎(1913.10.1〜1982.11.15)は、Wikipediaに拠ると昭和20年(1945)8月に「静岡地裁沼津支部兼沼津区裁検事」になっており、そして「東京地検の隠退蔵事件捜査部が1949年に東京地検特捜部に改組された時から特捜部に加わって」いる。静岡県賀茂郡松崎町伊豆半島の南西部、沼津は伊豆半島の付け根の西岸である。すなわち、河井氏が沼津在任中にあった事件とすれば時期は昭和20年(1945)から昭和24年(1949)までと云うことになる*4
 有栖川宮熾仁親王銅像は麴町區(昭和22年3月15日から千代田区)の三宅坂の旧陸軍参謀本部前にあったが、昭和37年(1962)に道路拡張のため港区の有栖川宮記念公園に移されている。
 すなわち、有栖川宮銅像上野恩賜公園にはなかったので、どうもこれは、現在も上野公園にある、小松宮彰仁親王銅像のことらしく思われるのである。
 ところで次女ではなく長女なのだが「長女」では長男の上か下か、長男の行動からして長女は年下だろうと見当が付くが、ちょっと分かりにくいから、これで良いのだろう(?)。
 それはともかく「松崎」で「終列車」云々とあるが、昭和32年(1957)4月の「鬼畜」発表当時の伊豆半島の鉄道は、西海岸には(現在に至るまで)通じておらず、内陸部には駿豆鉄道株式会社(昭和32年6月に現在の社名である伊豆箱根鉄道株式会社に改称)が三島駅から修善寺駅まで、東海岸には熱海駅から伊東駅まで伊東線が通じていたが、その先の伊豆急行線は未着工であった。
 現在の最寄駅である伊豆急行線稲梓駅まででも直線距離で15kmほど離れており、当時の最寄駅、駿豆鉄道修善寺駅までは直線距離で約30km、しかも山を越えることになるから、「松崎」で「夜にはいるのを待」って長男を「海岸から突き落」したのでは「終列車に遅れ」るのも当然であろう。いや、修善寺で「終列車に遅れ」て「宿」に泊まるのは分かるが、「その夜、松崎の宿にいる」ようでは、全く「終列車に」間に合うような行動を取っていないので、どうも、松本氏はこの辺りの交通事情や地理を理解していなかったようである。もちろん、河井氏の話を聞いてメモしていたその場で、知らぬ地方のことが具体的にイメージ出来るはずもないのだけれども。
 「捕ま」った理由も説明されていない。――「松崎」の同じ旅館に連泊したのなら、子供がいなくなったことを不審に思った旅館の番頭が通報した、と云うことになろう。そうでないと「その夜」に「捕ま」りそうにないように思う。
 小説では、父親は後に捕まることになっているので、この辺りの疑問点は問題にならない。そして別の要素を取り入れて、後に意外なところから足が付くことにしている。その辺りはやはり中公文庫『黒い手帖』収録の「創作ノート ㈡」の最後に松本氏が説明している。初版112頁2〜16行め、改版116頁18行め〜117頁14行め、

 職業的なことといえば、私たちの経験しない職業の中ではさまざまな材料が転がっている【改版116】と思/う。私は石版印刷屋のことをちょっと知っているが、今ではこの技術も古くなって、ほ|とんどが/亜鉛板となっている。だが、ふた昔前までは、その原版はすべて、ドイツから輸入|された石や、/日本の大理石などで、これは水性を弾く性質をもっているので石版用に使われ|た。この原版の石/に写された印刷模様は、一度、揮発油で表面を消し、さらに、それを磨石|で削り落すのである。/ところが、石の厚みが使用するにつれて擦り減らされてうすくなると、|プレス機にかける際に割/れてくるので、そのままに棄てられてしまうことがある。だが、こ|れは、もう一度アラビヤゴム/を引いてインキを盛ると、揮発油で消された模様が浮き上って|くるのだ。従って、一見、平凡で/何もないように見えても、磨石で落されない限り、模様は|潜在している。
 私は『鬼畜』でこれを使った。子供が石蹴りにその大理石の破片を使っているのだが、そ|の破/片の一つから、ある犯行場所の印刷屋が想定出来るようなレッテル模様が浮き上るとい|う筋だ。/こういう材料は、私たちの常識にない特殊な職業ではいろいろあるように思われる。
 職業というのは、ただ上辺から観察しただけでは分らないものだ。一度はそれを経験しな|いと、/トリックとして思いつくような知識はもてないだろう。*5


 これは松本氏の経歴が物を言ったアイディアで、誠に意外なオチである。従って小説には、その後に予測される、逮捕・連行された父親が、犯行現場で保護された長男と現地の警察署で再会するという展開までは描かれていない。しかし、映像化するにはこの石版印刷の原版の謎解きだけでは如何にも地味である。そこで野村芳太郎監督の映画では、あの感動(?)の再会場面*6が追加されたのである。(以下続稿)

*1:ついでに誤入力を訂正した。

*2:ルビ「ちっそく・しんだん」。【12月26日追記】全集はルビなし。

*3:ルビ「ありすがわのみや・たそがれ」。

*4:昭和10年代の、軍需景気から戦時体制の強化で景気が悪くなって来た時期の可能性もあるし、昭和25年以降の話を何かの折に在任時の関係者から聞いたのかも知れない。しかしそれでは雲をつかむような按配なので、一応この期間に見当を付けて置こうと云うまでである。――終戦前後と云う感じではもちろんないのだけれども。

*5:ルビ「うわべ」。

*6:この場面については、2013年3月15日付(2)にて検討した。