瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

上方落語「三年酒」の原話(1)

 先月、全て手許に揃えた訳ではないが、2017年12月31日付「宇井無愁の上方落語研究(1)」に挙げた本を複数の図書館から借りて来たのは、従来指摘されていないらしい上方落語の原話に気付いたからであった。
 さて「三年酒」と云う話だが、2012年10月4日付「四代目桂文團治の録音(1)」に述べたように、私は学部生の頃にカセットテープの『桂米朝上方落語大全集』を一通り聞いて、それでこの話も覚えていたのだけれども、実は滅多に演じられることのない珍しい話らしい。ネットで検索しても殆どヒットしないのである*1
 宇井氏の本に載っているかと思って何冊か借りて見たのだが載っていない。
 そこで2016年10月23日付「人力車の後押しをする幽霊(1)」に参照した東大落語会 編『増補落語事典』改訂新版(平成11年5月25日改訂3刷 定価四、七〇〇円)を借りて来た。
 1〜38頁「目次」の1頁(頁付なし)は左上に「落 語 事 典   目次」とある扉で、2頁から38頁まで3段組、1段21行で演目が並ぶ(但し38頁は1段め[]の
「ん廻し(寄合酒)       四五六」のみ、見出しの五十音は破線で囲われ3字下げ2行取り、頁を示す漢数字は半角)。
 15頁中段3行めから16頁下段7行めまでの[]を見るに、16頁中段14行めに「三年酒(神道又)       五三七」とある。ちなみに16頁下段8行めから19頁下段10行めまでの[]の19頁下段7行めに「神道又            五三七」とあり、また同じ段の5行めに「神道の神酒(神道又)     五三七」とある。537頁は467〜607頁「補   遺」すなわち昭和48年の増補版での追加である。526頁下段〜538頁下段まで「」に31題が挙がる、その30題め、537頁下段15〜16行めに、

 神道(しんとうまた)〔大文〕
 別名「三年酒」「神道の神酒*2


 題の下の〔大文〕は「目次」の前に8頁ある前付、1〜2頁(頁付なし)は扉、3〜4頁「まえがき」、5頁「編集・東大落語会」21名列記、6〜8頁「速記本一覧」の、上下2段組の7頁下段5〜7行めに、

〔大文〕=「落語全集」「続落語全集」「新落語全集」/大文館 昭和四年十一月、「続」は五年六月、「新」/は昭和七年七月に出た。

と見えている(2行めからは2字下げ)。
 537頁に戻って下段17行めから538頁上段9行め、

 〔梗概〕まだ人別帳が寺にあった時代、神道にこって/いた又七が、池田で一升飲んで帰ったが、翌朝になって/も起きて来ない。家族はてっきり死んだものと思い、又/七がいつも口ぐせに、死んだら神道で葬式をしてくれと/いっていたのを思い出し、神式で行なおうとしたが、坊【537】主が人別帳を持っていてさせない。そこでオネオネの佐/助、ゴウマンの幸助、ゴツキの源太の三人が順にかけあ/い、表向きだけ仏式ということにして、神式ですます。/二日たって、池田のおじさんが来て、実は死んだのでは/ない。支那の三年酒というのを飲んだので、これに酔う/と三年間死んだようになるのだ。神式ですませたので、/焼かずに助かったという。びっくりして、又七を墓場か/ら掘り出すと気がつき「ヒヤで持って来い」「焼かな直/らん」

と筋が説明されている。しかしながらこの〔梗概〕は余り上手くない。又七が「神道にこっていた」ので「神道又」と渾名されたであろうことは、大体察することが出来るとしよう。大の酒好きであったことも「一升飲んで帰った」ことと、気が付いた直後に「ヒヤで持って来い」と言ったことから察することが出来ようが「焼かな直らん」は、現在でも上方では使わないでもないらしいが、全国で通じる言い回しではない。――意味は、曲がった刃物は焼きを入れないと直らない、と云うことで、かなり強い処置を加えないと悪癖は改善しない、と云うことだろうと察せられるのだけれども。(以下続稿)

*1:投稿後、「らくご聴いたまま」のブログ「らくご聴いたまま 落語に関するブログ」の記事2017/05/16「◆5月16日/桂文我深緑落語会(お江戸日本橋亭)」にて、桂枝雀(1939.8.13〜1999.4.19)の弟子、すなわち桂米朝(1925.11.6〜2015.3.19)の孫弟子、四代目桂文我(1960.8.15生)が演じたことが見えることに気付いた。

*2:ルビ「おみき」。