瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

桂米朝『米朝ばなし 上方落語地図』(2)

 昨日の続き。
 本書の由来は、桂米朝「はじめに」の冒頭、単行本1頁(文庫版3頁)2〜4行めに、次のようにある。「/」は単行本、「|」は文庫版の改行位置。

 二年四ヵ月にわたって、長々と毎日新聞(大阪版)に載せていただきました。まずもって、|毎日新/聞社と担当の永井龍彦記者に、厚く御礼を申し上げます。私の気ままなおしゃべりを一|定の字数にま/とめる御苦労は大変でしたでしょう。


 この辺りの事情は、単行本353〜354頁・文庫版479〜480頁、永井記者が執筆した「あとがき」にて、より詳しく判明する。1頁めの8〜11行め、

 この「上方落語地図」の着想は、米朝師が数年来あたためていたもので、偶然の機会にそれ|を知っ/た私は、多忙の米朝師に強引に頼み込み、毎日新聞大阪版の土曜日朝刊の読み物として、*1|昭和五十三/年十一月十八日から五十六年二月二十八日まで計百十九回、掲載させていただいた。*2|最終回の「伊/勢・間ノ山」は、本書のために加えてもらったものである。


 取り上げた場所については「はしがき」にも、単行本1頁(文庫版3頁)10〜12行め、

 とりあげた地名百余り、有名な土地もあれば落語によってのみ、伝えられているものもござ|いま/す。何百年にもわたる先人の業績をこんな形で一冊の本にすることができました。昭和五|十年代の数/々*3の写真、これは後世、必ず貴重な資料となるに違いありません。

とあって、連載は119回、最終回が単行本での追加で120回分のはずだが目次で勘定するに102項、すなわち2回にわたって取り上げた場所が複数あって、これは各項を見て行けば察することが出来る(今後、そのような作業をするつもりである)のだが、出来れば掲載時の紙面を見たい。マイクロフィルムではなく、現物の切抜きを見たい。切り抜いていた落語ファンも当然いたはずだと思うのだけれども。
 写真は流石に新聞社写真部のカメラマンが撮影しただけあって、奥行きと生活の息吹を感じさせるもので、連載当時小学生であった私には懐かしい。昭和55年度には兵庫県在住で、私もその当時を知っている場所の写真が掲出されていた。流石に小学生では大阪に出る用事もなく、本書に取り上げてある場所の殆どを私は知らないのだが、全く同じ場所ではなくとも、やはりこのような時代の空気を吸っていたことは、これら写真の数々から確かに感ぜられるのである。(以下続稿)

*1:文庫版9行め、行末の読点は半角で追い込む。半角分を行中の読点2つを1字半に詰めることで捻出している。

*2:文庫版10行め、句読点はそれぞれ半角。

*3:単行本は改行のため「数/数」と表記。