瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

吹奏樂部の思ひ出(1)

 今日は、体調不良ながら女子高時代の教え子が参加している素人吹奏楽団の定期演奏会に出掛けた。
 私はSNSをこのブログ以外やっていない。第一携帯電話を持っていない。況やスマートホンをや。メールのやり取りとか、ラインだのチャットだの、常に縛られているのが面倒で、家か職場にいなければ連絡が付かない、それで良いと思っているし、まぁ実際そのような勤めをしているのである。
 だから、女子高講師馘首の後は、2017年12月29日付「講師室の思ひ出(2)」に書いたように、文化祭に顔を出していたのだが、そこからも2017年12月30日付「講師室の思ひ出(3)」に書いたように締め出されて、ほぼ当時の教え子との縁は切れた。私が講師を始めた頃には名簿を作らなくなっていたし、住所も電話も教えなかったから、もう分からない。まぁそこまでの縁でそれ以上ではない。年賀状みたいなものでたまに思い出す機会があっても良いが、まぁ年賀状みたいなもので左程思い入れもないのに何時までも切れないのも面倒だと思うのである。
 年賀状と云えば、郵便局に就職した教え子(これも吹奏楽部員)が母校に営業に来て、当時私はまだ講師室にいたから、どうせ買うのだし、ノルマもあるみたいだからと僅かながら購入したのだが、馘首後それも出来なくなった。向こうは文化祭に私がいることは知っていたはずで、友人と連れ立って訪ねて来たこともあった。その折、私が「来年もういないかも知れないから」と言うと、「先生そんなこと言ってずっといるじゃないですか」と言われて、確かにその前年に年賀状の営業に来た彼女に会ったときもそんなことを言ったような記憶があって、さらに前年にもそんなことを言っていて……それこそ生徒だった頃からそんなことをずっと言っていたはずなのだが、今度こそ本当になってしまった。――文化祭は秋で、年賀状発売よりも少々前である。だから連れがいなければ、もうじき訪ねることになる母校にわざわざ来ない。しかし私はもう文化祭しかいないのである。
 駅に売りに来ている顔見知りでもない地元局員から買うくらいなら、教え子から買ってやりたいが、もう連絡の付けようがない。馘首後でも文化祭で会えれば、住所だけは教えようと思ったのだけれども。
 それなのにこちら、別の教え子の方は今日、定期演奏会に出掛けたと云うのはどういうことかと云うと、私が馘首された翌年度の土曜の昼、定期演奏会の案内を持って私を訪ねて来たとき、もちろん馘首の披露など会わない人には全くしていなかったので講師室に来て初めて、私の名前がないことに驚いていたそうだが、たまたま学校の近所に転居して土曜の授業を担当していた*1他教科の女性講師が応対してくれて、流石に同僚には退職に当って住所電話番号パソコンのメールアドレスを教えていたので、そこから住所が伝わったのである。女性講師がいなくて、そこで縁が切れても仕方がなかったのだが、まぁそういうことになったのも何かの縁だと思って、住所しか知らせていないが、私の連絡先を知っている唯一の元教え子と云うことになっているのである*2
 ちなみにこの女性講師も雇い止めで、転居3年にして馘首されてしまったのだけれども。
 それはともかく、郵便局員も元吹奏楽部、素人楽団で活動しているのも元吹奏楽部、なのだが、2017年3月22日付「Alfred Schnittke “Adagio”(1)」や2017年12月31日付「宇井無愁の上方落語研究(1)」に書いたように、私も兄も吹奏楽部員だったので、実は(?)吹奏楽部と私は、浅からぬ、いや、それなりに縁があるのである。(以下続稿)

*1:土曜の講師室に殆ど人のいないことについては2017年12月28日付「講師室の思ひ出(1)」に述べた。

*2:だから、私は長年この女子高に勤めたけれども、生徒には誰も連絡先を教えなかった。――文化祭から締め出される前年に会った卒業生に、文通しようと言われたが結局教えず、恐らくもう会うこともあるまい。