瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『こども妖怪・怪談新聞』(3)

 昨日の続きで、「別冊家庭画報」の『こども怪談新聞 学校編』と『こども妖怪新聞』の、カバーについて。
 今、私の手許にある『こども妖怪新聞』と『こども妖怪・怪談新聞』はカバー折返しが切除されている、そこで今回は『こども怪談新聞 学校編』のカバー折返しについて、メモして置くこととする。
 カバー表紙折返し、丸ゴシック体横組みで「おすすめします」として上下2人の楕円形カラーの顔写真付きの推薦文、まづ題が赤い雲形にゴシック体白抜きで「子どもの想像力がはぐくんだ文化」とあってゴシック体で「国立歴史民俗博物館助教/常光 徹」左に顔写真、その下の推薦文は部分的に一回り大きい赤で強調している。

 民話、早口言葉、なぞなぞなど子どもたち/を取り巻く口伝えの文化は多彩で、なかでも/怪談や不思議話は大変な人気です。/「お化け」「妖怪」「幽霊」といった話題は、/誰でも一度は通過する関心事でしょう。ただ/大人になると忘れてしまい、「非科学/的」などと一蹴してしまいがちです。しか/し、怪談を子どもたちから遠ざけるのでは/なく、折りにふれて話題にするなかから、/話を楽しむ感性や科学的な志向を養う/肥やしにしていくべきではないでしょうか。/子どもたちの想像力がはぐくんだ文化/として、学校の怪談を捉えるまなざしが大/切ではないでしょうか。


 色々突っ込みたいところがある。――どうしても、矛盾しているんじゃあないのか、と思ってしまう。「大変な人気」ならば「口伝え」に任せて置けば良いではないか。どうして「子どもたちの想像力」に任せて置かず、商品として画一的なものを供給する必要があるのだろうか*1。正直私は止めて欲しいと思っている。――それに、現代の分別ある大人がこういうものを「非科学的」と否定するのは至極当然のことであって、大人が「遠ざける」も何も、子供同士で勝手に自由に盛り上がればそれで良いのである。何故大人がそこまで気を遣って話題にしてやらにゃあならんのか、と思うのだ。
 次に「親子の会話が豊かに広がります」とある「東京外国語大学教授教育心理学/田島 信元」の推薦文。

 今の子どもには子どもどうしの。また教師/や親など大人との、徹底した討論が足りません。/学校の怪談は、子どもたちの間に討論の機会/を与えていると言えるでしょう。大人にも、/子どもとの対等な会話や討論を取り戻/してほしいと思います。親との対話によって、/子どもは自己開拓能力や自己コントロール/能力を身につけていくのです。そして初めて、/子どもは教科的な知識を要領よく吸収してい/けるのです。民話や怪談、童話には昔から残/酷な場面がありますが、こういったテーマを/親子でぜひ話し合いましょう。「こども怪談/新聞」で親子の対話を豊かに広げてください。


 これも2012年1月4日付「福田洋著・石川保昌編『図説|現代殺人事件史』(4)」に指摘したのと同様の、根拠のない尚古思想に基づく、無理な理屈の推薦文のように、私には感ぜられるのである。
 『こども妖怪新聞』にも、同様の推薦文があったのであろう。
 カバー裏表紙折返し、ゴシック体横組みで、上部に赤い楕円に白抜きで「こども新聞シリーズ/  大好評発売中  」とあって、シリーズの書影が3段左右2つずつ、下に太字で書名。
 上段左「『こども宇宙・天文新聞』」

こども宇宙・天文新聞 (別冊家庭画報)

こども宇宙・天文新聞 (別冊家庭画報)

 上段右「『こども算数新聞』」
こども算数新聞 (別冊家庭画報)

こども算数新聞 (別冊家庭画報)

 中段左「『こども歴史新聞(上巻) 日本のあけぼの〜室町時代  中段右「『こども歴史新聞(中巻) 室町(戦国)時代〜江戸時代  下段左「『こども歴史新聞(下巻)   明治時代〜現代   
こども歴史新聞 (下巻) (別冊家庭画報)

こども歴史新聞 (下巻) (別冊家庭画報)

 下段右は書影なく、左の書影の下部に当たる位置に「『こども妖怪新聞』/  (続刊)  」とある。
 最下部中央、やや小さく「定価:各 [本体1,200円]+税」。
 恐らく『こども妖怪新聞』のカバー裏表紙折返しにも同様の目録があり、下右に『こども怪談新聞 学校編』の書影が示されていた、と思う。(以下続稿)

*1:誰の物でもない怪談を、図らずも『学校の怪談』で売り物にして大いに当ててしまった常光氏の苦しい言い訳のように、私などには思われるのである。